新潟県のパワースポットとパワーストーンのご紹介です。1700年の歴史を持つ神社。 社の奥にあるパワーストーンが人気。 新潟県1700年の歴史がある阿賀野市笹神地区にある旦飯野神社(あさいいのじんじゃ)は、阿賀野市笹神地区にある神社です。 御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、この阿賀野の地に稲作を初めて伝えた、御恵と威力の強い神様として祀られています。
下の丸い石が神社奥にあるまんまるのパワーストーンです。この石には龍神様が宿っていると言われておりますので旦飯野神を参拝したあとに必ず触れてください。きっとご利益ありますよ。龍神様に好かれる人は打たれても転んでも自ら起き上がり、復活する気力のある人を好むそうです。何事にも前向きな考えを持って過ごしてください.
旦飯野神社に参拝した後、その時に抱えていた悩みや問題があっさりと解決したという方が多くおり、近年は口コミで噂が広まり新潟県のパワースポットとして有名になりました。悩みや問題に苦しむ人を解決に導いてくださる神社です。旦飯野神社(あさいのじんじゃ)の歴史は?誉田別尊(ホンダワケノミコト)は、第14代仲哀天皇と神功皇后の子・第15代応神天皇。誉田別尊(ホンダワケノミコト)は、父・仲哀天皇が亡くなったあとに生まれたので、異母兄たちがその出生を疑い、反乱を起こします。反乱を鎮圧した神功皇后は、誉田別尊(ホンダワケノミコト)を皇太子にすると、自らは摂政(天皇の政治を助ける人のこと)となり、政治を司りました。誉田別尊(ホンダワケノミコト)は母・神功皇后が亡くなったのち、71歳で即位します。天皇に即位した誉田別尊(ホンダワケノミコト)は、多くの政治をおこない、即位から41年後に、『『日本書紀』によれば111歳で崩御しました。第15代応神天皇である誉田別尊(ホンダワケノミコト)は、なぜ旦飯野神社の御祭神として祀られているのでしょう?実は、旦飯野神社は、地域の氏神さまではなく、宮司である鈴木家の私的神社で、鈴木家の祖先が応神天皇を祀ったのです。今から約1700年前、鈴木家の遠い祖先に、長野麻呂(ながのまろ)という人がいました。
長野麻呂は誉田別尊(ホンダワケノミコト)の弓、衣、石を祀り、それが、旦飯野神社の始まりだと言われています。何かしら、応神天皇に関係のある人だったのでしょうね。第16代仁徳天皇が即位したのち、長野麻呂は仁徳天皇の異母兄・大山守皇子にお米を献上しました。その時、御神託が下り、「旦飯野(あさいいの)」という名前がつけられたのだとか。旦飯野神社は、仁徳天皇の時代から長野麻呂の子孫である鈴木家が祭祀を続ける、約1700年もの古い歴史をもつのですね。旦飯野神社のご利益は?
旦飯野神社のご利益は、厄除けと運気向上です。平安時代になると清和天皇から出た清和源氏、桓武天皇から出た桓武平氏など、皇室の血を引いた武家から、氏神様として信仰されるようになりました。ちなみに、戦国武将の武田信玄と明智光秀は清和源氏の末裔だそうです。こうして、武家が厚く信仰したことで、八幡大菩薩は武神と見做されるようになります。旦飯野神社の手水場の水は、飲むことのできる清水。地元の方はペットボトル持参で持ち帰っているそうなのでいただきましょう。
本殿にお参りして良くないものをご祭神・誉田別尊(ホンダワケノミコト)に祓ってもらったら、摂社と御神霊石にもお参りを。境内には、風神社、香椎神社、大三輪神社、三峰神社の4つの摂社があります。香椎神社は福岡の香椎宮、大三輪神社は奈良の大神神社、三峰神社は埼玉の三峯神社が勧請されているのです。遠く離れた新潟に勧請されているのはなんだか不思議な感じがしますね。旦飯野神社の本殿裏には、龍神様が宿ると言われる御神霊石が。手で触れ、撫でると幸運が訪れると言われているので、参拝の際はぜひ忘れずに。良くないものを吹き飛ばして、身も心もスッキリとさせ、幸運を呼び込んでくださいね。
こんな近くに由緒ある神社があることを私も恥ずかしながら今まで知らずにいましたがパワースポットの地として、口コミで大変多くの方に知られるようになりました。今では他県から、噂を聞きつけてこの神社にわざわざ多くの方が訪れるようになり、有名な神社となりました。白鳥の湖で有名な瓢湖に近いのでぜひ白鳥を見てから旦飯野神社にも寄って、悩み事や良くないものを吹き飛ばして幸運を呼び込んでください。
(この丸い石は神社の後ろに見える五頭山から出た自然石で最初から丸石の状態で掘り出されたそうです。川の流れで削られた石ではないそうで言い伝えによるとこの御神霊石には龍神様が宿っているとも言われているそうです。安産祈願で訪れる方も、とても多い神社です。ぜひ、お守りも
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