(6月初旬の飯豊連峰 縦走記録者 Hashimoto)
飯豊連峰最高峰の大日岳(標高2128m)です。
おそらく黄色の花はたぶん(ミヤマキンポウゲ違っていたらごめんなさい)
私が登山を始めたのは,山岳小説の頂点とも言われる日露戦争直後、北アルプス立山連峰
の劔岳山頂に、国から三角点埋設の命を受けた測量官・柴崎芳太郎達の困難を極めた記
録を描く新田次郎の劔岳「点の記」を学生の頃に読んだ事が,私が登山することのきっかけであったと思う日本地図を完成させるために、命がけで未踏の劔岳(つるぎだけ)山頂
に三角点埋設を目指した測量士のお話です。また同じく初登頂を目指す日本山岳会との競
い合いも見ものです。話の内容は実話に基づいたもので,今でこそ、劔岳にはちゃんと登るルートが有りますが当時は登山道を探すだけでも、どれだけ大変なことだったのかを知る
ことができます。登山ルートだけではなく、三角点埋設作業で計測し正確な日本地図もこうやって作られたのだと知ることが出来ます。読んでいると、どんどんと文章の中に引き込まれていく、人が登った事のないまだ未踏だったはずの劔岳山頂に・・・・? ここから先は是非、本をお読みになって下さい。おすすめの本です。劔岳「点の記」は映画化もされています。私は6月初旬の飯豊連峰単独縦走を計画しました。飯豊連峰は日本百名山にも数えられ、上級者向けの山とされています。 崖や急な登り、岩場や鎖場があります。飯豊連峰は北アルプスのように登山道がよく整備されていないので 初めて登る方の登山はお勧め出来ません。必ず登山保険に加入しておきましょう色々な短期のプランがありますので生命保険会社に確認して一番自分に適した加入プランを決め下さい。自分は大丈夫という人ほど事故に遭遇しますので必ずご家族のために登山保険に加入しておきましょうね。※ 山での滑落や転落などは天候の状況でヘリも飛べないこともあり当然救助ヘリ隊員の安全が優先されます。救助隊員さんも身を犠牲にして救助する事はあってはならないですし、遭難者は、救助隊員も天候状況などで二次災害のないように安全確保をしたうえでしかヘリからの助けてもらえず遭難現場までに徒歩で救助隊員が行くか遭難者は天気回復まで、山で過ごすしかない事もあるので、水や予備食を必ず常備しておき山に登りましょう。 ケガしていれば動き回らないで出来れば救助用ヘリから自分が見える場所に移動し体力の消耗を極力抑えて救助されるまで動かず待ちましょう。 最近多いのが脱水症状・熱中症・疲労で動けなくなる疲労遭難者が多くなっているそうです、自分の体力に合った山に登るのも自己責任だと私は思っています。特に飯豊連峰の登山口はどこから登ってもいきなりの急こう配で体力を相当消耗します、登山道も手付かずの自然の残る最低限の標識だけが設置されてる山塊ですから特に長く険しいため、技術、体力ともに高いレベルが求められます。絶体に無理はしないでください 。
(飯豊連峰の山開きは7月第1週の土・日曜日が山開き日です。)私は、6月初旬に山形県側から登り始め、山形県⇒新潟県⇒福島県の三県境を跨ぐ縦走コースにしました。新潟県側からですと中条駅から奥胎内ヒュッテまで車かタクシーで行き(駐車場あり)奥胎内ヒュッテからは乗り合い自動車が出ておりますのでそれを利用して足ノ松登山口に到着し、そこから朳差岳→門内岳→北股岳などのコースがあります。私はどこの山に登るにも一人で登ります。このブログを見て一緒に登りませんか?とお誘い受けますが,事故や遭難などで万が一の事を考えると一人で自分のペースで登るのが一番気が楽なので, すみませんがお断りさせて頂いています。
もう一つは山形県側の国道113号沿いの米坂線が2022年8月3日の新潟県北部大豪雨で線路や鉄橋に大被害が出て現在はバスでの代替え運行中です。米坂線は赤字路線の為、JR東日本側といまだ協議中ですが復旧の見通しはまだ立っていません。私は、2022年8月の新潟県北部豪雨以前の年の6月初旬の飯豊連峰の天気が暫く晴れ間が続き天気が崩れる事はないことを確認し、登山開始日を決定しました。私は、山形県側の小国町から入り飯豊山荘前まで車で友人に送ってもらい早朝4時30分に到着し登山の準備を開始、熊、除け鈴を腰のベルトにつけて登山用リュックを担次いで登山の準備完了してから.飯豊山荘前からは、丸森尾根コース・梶川峰尾根コース・石転び沢雪渓コースの三つの登山口があります、石転び沢雪渓コースは夏場の登山シーズンは雪渓で涼しいのですが最大傾斜度44度の所もありアイゼン・ピッケルが必要なので登るにはキツイし難易度の高いコースで左右が尾根に囲まれているので夏のシーズン中は落石が多く雪渓をこぶしほどの落石であっても、ものスゴイ勢いで急斜の雪渓を落石が転がってくるので当たりどころが悪ければひとたまりもない、ケガだけですめばよいが当たり所が悪ければ死のリスクもあるので必ず安全ヘルメットを被って登ってください,何度かこの,石転び沢雪渓では、落石によってケガ人が出てヘリで救助され病院送りになった方も多い雪渓です。雪渓の所々に裂け目や見た目では分からない雪渓の下の沢の水の流れで出来た空洞が所々にあるので穴抜けには充分注意して下さい。私一人なので雪渓の穴抜けで沢に落ちて、ケガをすれば、飯豊連峰の単独縦走も出来なくなるので、石転び沢雪渓から登る事を回避してリスクの少ない、梶川尾根を選択しました。急こう配ではあるが、皆さんには地図上の赤線で示してある、丸森尾根から登るコースをお勧めします。私は、丸森尾根も梶川尾根も両方登った経験があり、登り切ればどちらの尾根でも、扇ノ地紙で合流しますのでどちらも急こう配の登りで辛いですが、登りやすいのは梶川尾根よりも丸森尾根コースの方が良いかなと思います。私は前年の8月の遅い時間に丸森尾根から登り、門内小屋にやっと辿り付きました。体は疲れているのに、山小屋は人数も多く、夕食の準備中に石転び沢雪渓で落石が原因で登山者に当たり救助要請が出てヘリで運ばれたとの連絡が入りました。どうも安全ヘルメットを被らず登っていたので直接落石が身体にあたり重傷をおったとの事です。門内小屋は登山者の鼾の大合唱で寝不足になってしまい。北股岳にたどり着いたときにはもう今の自分の体力・寝不足状態ではこの暑さで体力を消耗し過ぎて今回の縦走計画は無理だと判断し下山した苦い経験があるのでやはり、営業職でのつき合い飲み会などの日頃の不摂生が祟ったのだと思う!それから一年間は縦走できる体力・脚力をつけるために飲み会のお誘いは極力避けて仕事終わりの夜にジョギングで脚力と腕立て伏せなどで体力強化に努め身体を絞り込む事が出来て自分でも何としてでも絶対に飯豊連峰を縦走するんだと強い気持ちと縦走出来なかった悔しさが縦走ができる体力造りに頑張れたんだと思う。私は前年は丸森尾根から登つたので今回は距離的に短めな梶川尾根(梶川峰を通る黒い点線)コースを選びました。私は前年は丸森尾根から登つたので今回は距離的に短めな梶川尾根(梶川峰を通る黒い点線)のコースを選びました。この尾根はやせ尾根から始まり、まるで木にしがみついてるセミのような格好で登り始める、途中から長年の雨水でえぐられた登山道は木の根っこだけがびっしり張っており木の根を手で掴んで、不安定な足場を確保しながら登るしかない状態がしばらく続くそれが終わったかと思えば、ものすごい急勾配の登山道を何度も途中休息しながら,心が折れそうになるほどのきつい傾斜が続く。飯豊連峰はどこの登山口から登ってもいきなりの急勾配の登りから始まるので今まで登った山の中でも、一番苦しい山魂でした。もう少しで急勾配も終わるだろうと何度も休息を繰り返しながら途中、梶川峰まで何とか登りきることが出来ました、詳しくは登山地図で登山行程のタイムスケジュールをご確認ください。膝に伸縮性の薄手サポーターを当てておいて正解でした。出来るだけリュックの重さを最低限にしても簡易ガスコンロやビール500m缶を2本(6月初旬の山小屋はまだ山開き前で管理人もいないので飲料関係などは販売していません。)但し、寝袋持参であれば山小屋での寝泊りだけは出来ます。ご自分で飲料関係や簡易ガスコンロで山小屋でお湯を沸かしてレトルトの食品などでご自分で調理してください。アイゼンなどを登山用リュックに詰め込むと、どうしても20kgほどの重量になってしまう。『重くなるのならビールを飲まなきゃいいのに』と思われるかも知れませんがこれだけは山での楽しみなので譲れないのです。(笑) 私はそこに小さな瓶に入れ替えた私の好きなバーボンウイスキーも持つて来た。このバーボンは飯豊連峰に登るといつも頂上付近にある御西岳小屋付近でいつも星空を見ながら残雪を入れて冷やした水割りのバーボンを飲むので、登山リュックにこっそりと入れて持つてきた、言っておきますが、私は決して大酒飲みではありません、人によってバーボンウイスキーの独特の香りがダメという人もいますが私はこの癖のある香りが好きで飯豊山の山頂付近から星空を見ながら残雪を溶かして冷やしたバーボンの水割りをゆっくり飲みながら時間を過ごすのが好きなだけです。最近の登山用品や器具なども簡単で軽量なものもあるようで、時代とともに進化してテントも軽量化されているので登山用具の多さに目移りしてしまう。販売店に登山道具に詳しい担当者がいるはずなので迷ったらアドバイスをもらいましょう。テント持参となるとランタンなども必要になるのでかなりの重さになってしまうので、計画は山小屋泊まりの縦走コースの計画にし登山リュックの重量を極力減らした。最近のテントの軽量化・組み立ても簡単になっている事に驚く。前年は登山中に膝を痛めた経験があるので、もちろん今回は私は約1年間の期間に体を絞りこみ、準備万端の体制で登り始めた比較的距離的に短い梶川尾根からの登山コースを選択しました。どちらも急こう配の登山道なので覚悟して登りましょう。
下記登山地図用コンパスで現在位置やこれから向かう方向が分かります。登山なさる方は地図上でコンパスを当て操作出来るようになれば登山も楽しくなりますよ!
上記登山用コンパスの使い方はネットで検索すれば載つています。 私はいつも山登りの時は必ず一人で登るのでコンパスと登山地形地図は(1/25000の縮小率のもの)いつも必ず登山用リュックのポケットにいつでも取り出せるよう入れてます。)GPS機能の位置情報を表示するものもありますが価格も高いですしデジタルは壊れたり、電池がなくなれば何の役にも立たないので私は価格的に安い地図用コンパスアナログ方式で充分です。自分で現在地や目的地の方向を操作確認できるので、登山する時は必ず登山地図が濡れないように防水用のビニールパックにコンパスと一緒に入れて置きます。
私の縦走コースはあくまで参考ですので自己責任で安全に登ってください。飯豊連峰は上級者向けの山塊ですので初心者の方にはお勧め出来ない山です。必ず以前に飯豊連峰に登った方でガイドが出来る人や登山経験のあるベテランの方と一緒に登る事をお勧めします。
私は前年の8月の暑い頃に丸森尾根から登って門内小屋で宿泊したのですが、私は疲労感で身体はゆっくり休みたいはずなのに山小屋の登山者の鼾の大合唱で眠れず(山小屋泊りの方は耳栓は必ず持つて行かれたほうが良いです(笑))私はこの時耳栓もなく一睡もできず北股岳に登った時にはもう寝不足の状態と登りの疲労でこの先の縦走は体力不足と寝不足の状態のままだと縦走も危険だと判断して下山した苦い経験がある。それから一年間は縦走できる体力・脚力をつけるために仕事終わりの夜にマンション近くをジョギングで脚力をつけて腕立て伏せ、腹筋などで体力強化に努め翌年の暑くならない6月初旬に再び単独での縦走の計画を立てました。飯豊連峰はどこから登っても、いきなりの急こう配から始まるので,覚悟して登りましょう。梶川尾根登山コースを暫く登り続けた時に突然、茂みから、国の天然記念物のレッドリスト入りしている日本モシカが突然目の前に現れックリした。カメラ取り出し撮影する暇もなくあっという間に姿を消してしまったので,著作権フリーの天然記念物日本カモシカの写真を添付させてもらいました。日本カモシカは牛科のヤギ亜種科で、奈良公園にいるカモシカとはまったく違う種類です。私は長野県で一度見たことがあるが、飯豊連峰では初めて見ました
残念ながらカメラを取り出す暇さえありませんでした。あっという間に消え去ったてしまいました。日本カモシカは目が四つあるように見えますが,目の下の窪みは縄張りの匂いをつける分泌物を出す穴でこれを木などにこすり付けて自分の縄張り範囲にこすりつけ他の天然記念物の日本カモシカに縄張りを知らせる役目を持っている。分泌物の出る部分のへこみが目のように見えるので見方によっては、天然記念物の日本カモシカには四つの目があるように見えます。日本カモシカは一夫多妻制です。通常のカモシカは一夫一妻制で人間と同じです。更に登ると梶川尾根コースには途中水飲み場もあるのですが50mほど下って、また登らないといけないのでここまでの急こう配で疲れ切って50m下の水飲み場まで降りるのならここで登りの疲れを取りたいので水筒を用意しておいたほうが良いかも知れません、私はさらに梶川尾根を登り続けると標高1145mにある滝見場に到着する、ここから石転び沢雪渓を見る事が出来ます。この石転び沢雪渓を登りきると北股岳真下の梅花皮小屋(かいらぎこや)になります。この滝見場で私が一番苦手とする蛇がいて、私はその場から動けず暫く固まったまま小石を投げたら蛇もいなくなって、その場を急ぎ足で私は逃げた、迷彩色の色の蛇はまむしなので気を付けてうちの父はよく山菜とりに出かけるとまむしを捕まえて来て一升瓶に水を入れた所にまむしを入れまむしの食べたものを排出させてから焼酎を入れてまむし酒を友人に配っている、父は下戸でアルコールは飲めないのに私にまむしの姿を見ながらいつも試飲させられる、飲むと体がかーっと熱くなる。またぎの狩人はへびの皮は風邪薬として利用され、室町時代からくまの胆のうは熊の胆として胃腸の万能薬として熊の胆の重さと金の重さと同じ重さで売られてまたぎの貴重な収入源となっていた。
ようやく梶川尾根を登り切った扇ノ地紙(標高1720m)あたりにはまだ残雪があったがアイゼンなしで登山靴でも充分に登ることが出来ました、それ以降飯豊連峰の大日岳を登る時はアイゼンが必要ですが、そこへ行くまで登山靴で充分歩けました。扇ノ地紙で東京の二人の学生さんと遭遇したが彼らは丸森尾根から登ってきたのだろう相当疲れているのが顔に出ていた、ようやく門内小屋(標高1870m)に到着!ここまで登れば熊が出る心配はない標高1500m以下の森林帯に良く熊を遠くに見かけることがある。
この門内小屋まで『TBS系の新潟放送のBSNで(カメラマンが選ぶ新潟の風景)』にこの飯豊連峰の門内小屋までの新潟県側から足ノ松登山口から登り~門内小屋までの登山記録が放映されていました良ければ見直してください。)私は山形県側からの梶川尾根から登ったので暫く門内小屋で休息していたら東京の二人の学生さんは丸森尾根の登りが相当に疲れていたのだろう門内小屋にやっとたどり着いてぐったりしていた。私は二人の学生さんの装備を見てもほとんど登山経験がなかっようだったたので『これ以上は無理しないで下山したほうがいいですよ!と忠告だけして、またどこかの山で会いましょうね』と挨拶してから先に門内小屋を出て北股岳に向かう。2023年10月にこの門内小屋付近の高い標高(1870m)でイノシシ2頭がいる事が確認されています。たぶん山小屋の食料の匂いでうろついていたんだと思う,この飯豊連峰の標高の高い場所で一度も見たことがないですし登山者の登山される方は山小屋のゴミなどの匂いでイノシシが寄って来たのだと思うので、必ずゴミは持つて帰りましょう。これも地球温暖化のせいで生態系も変わって来たのだろうか?2024年以降から飯豊連峰に登山する際はツキノワグマもイノシシにも充分注意が必要です。2023年は木の実のどんぐりやブナの実などが凶作の年で餌不足により2024年の春の登山シーズンは特に熊やイノシシには充分注意して山に登ってください。(イノシシは青色のひらひらするものを嫌うそうなので腰のベルトに一応下げておくと良いようです。また、イノシシは木に登れませんから、ゆっくり後ずさりしながらもし、イノシシが近づいてきても、慌てずにゆっくりと後ずさりしてその場から離れましょう。高い場所か木の上に登るか、木の幹に身を隠してください猪突猛進されたら牙で大ケガの危険もあります。熊は木登りが上手なので木の上に登っても危険です。) 私は、門内小屋を出てからは、門内岳でカメラをリモート機能で自撮りしてから(飯豊連峰縦走記録者の写真)北股岳に向かい北股岳頂上に無事立つた。頂上からは霞んでいたが福島県の磐梯山が見えました。
北股岳 (標高) 2105mです。)
白い部分は残雪です夕陽が当たっているので岩肌が少し赤みがかっている。
北股岳⇒地図上では門内小屋が(1泊目)になつてますが私は思ったより距離を稼げたので早めに写真の北股岳に登頂し、北股岳直下の(写真左下の赤い屋根の)梅花皮小屋(かいらぎごや)標高1850mを1泊目としました.宿泊者は私一人でした。
この山小屋は、私が縦走した時はコロナ流行前でしたので8月頃は夜に外にはカラフルなテントがたくさん並び、その灯がとても綺麗でした。今回は私が登った際はまだ7月初旬の登山開き前でしたので梅花皮小屋の宿泊者は私一人だけでしたが7月初旬以降の山開き後は宿泊者が急激に増えて来ますから外でのテント張りでも(有料)で予約がないと泊まれないかも知れません。トイレは梅花皮小屋泊りでも、外でのテント泊りの方でも梅花皮小屋の水洗トイレを利用出来ます。山小屋に運よく泊れたら、夜中は鼾の大合唱ですから耳栓を必ず持つて行ってくださいね(笑)テント泊りも今はコロナ5類になりましたので大丈夫です。下の写真が梅花皮小屋直下の石転び沢雪渓になります。写真では上から見るとそんな急傾斜と思われないかも知れませんが下から見上げた石転び沢雪渓は最大斜度44度もあり見ただけで登りたくないな~と思うほどの急斜面でスキー場でも44度の急斜面の場所はまずない。アイゼン、ピッケルで登つても、この急斜面は相当登山技術がないと体力を消耗してしまうので安全ヘルメットを被ってください。登山初級者の方の登山コースではありません。
梅花皮小屋(かいらぎごや)から石転び沢雪渓を眼下に見ながら年々雪渓が少なくなっているように感じる。ビールを冷やして飲んだ後、お湯を入れるだけでできる即席ピラフを食べる、これからの縦走路の長さを考えると食事をしっかり食べておかないとこれからの縦走路を歩くには、体力がもたない。今日は梶川尾根の登りで非常に疲れたので,寝袋に潜り込んですぐに横になる相当疲れたのだろうすぐに深い眠りについた。ただ朝起きると足のふくらはぎが重いが大したことはなさそうだ、翌朝はまだ暗いうちから梅皮小屋を出発して⇒烏帽子岳をめざして急傾斜の登山道を登る、前日の登りの疲れで足が重くて大変だったがやっとの事で登り切り烏帽岳標高2018mに到着すると同時にちょうど朝陽が昇ってきた.
(下記の写真は6月の烏帽子岳から見た日の出です。『Sunshine On My Shoulders』の曲が聞こえてくるようだ。太陽を背に受けながら登ると冷えた外気や体を暖めてくれる太陽のありがたさを実感出来る。
烏帽子岳⇒御手洗池⇒下記天狗の庭に到着、私が登った時には下記写真のように残雪がたくさん残つていたので長めの休息をとり、アルミコップに残雪を詰込み練乳をかけてかき氷タイム(ウマイ!)私は山に登る時は必ずチューブ入りの練乳を山に持つて行く、天候不順で山小屋に何日も閉じ込められてもホットミルクで体を暖めることができるので重宝する。最近の地球温暖化のせいなのかこの天狗の庭は(池塘が枯れて現在補修工事中なのでもう飯豊連峰の天狗の庭付近の所々にあった、池塘は枯れている所もありますので、登山地図には掲載されていないかも知れません。これも地球温暖化や少雪の影響のせいなのかも知れない。
上記写真の天狗の庭で長めの休息を取ったのでふくらはぎの痛みも和らいできたので天狗の庭を出発⇒御西小屋に行くために緩やかな稜線沿いを歩き始める急に気温が高くなったようなので暑いのでジャンパーを1枚脱ぐ(ここの尾根伝いの稜線は強風雨が吹くと強風を遮る場所がないので気を付けてください。天狗の庭から稜線を歩き始める。私は、クリスチヤンではないが讃美歌404番好きな歌「山路越えて」口ずさみながら歩き時間に余裕を持って約3時間歩いて御西岳小屋に無事到着 (ニ泊目の宿泊小屋)
途中快晴で気温も上がり下着も汗をたくさんかいたので、着替えてから夕食の準備にかかる今日は私の好きなMちゃんの塩ラーメン2食分を鍋に入れた、結構尾根の登山道を歩いたので、お腹も空いていたので最高に旨かった。夕食後に御西小屋の外に出て夜空を見る6月でも天の川や夏の大三角形のデネブ・ベガ・アルタイルの星も見える標高2000mの高さから見ると何も邪魔する明りもないので綺麗な星空を見る事が出来ますよ写真ではわかりずらいですが星が瞬き輝いて見える私のお気に入りの場所です。
デネブ・アルタイル・ベガを線で結んだ『夏の大三角形』が良く見えます
写真では分かりずらいので夏の大三角形でネットで検索なさってください。
夕食後は、私の好きな、バーボンウイスキーをアルミカップに入れて残雪を入れて水割りにしてゆつくり飲みながら星空を眺めた。ゆつくり星空を眺めているだけで心が落ち着く。私が30歳~40歳の頃に四人の友人を続けざまに亡くした、二人は幼馴染で一人は進行性の胃ガンが相当進行しており入院し2ケ月ほどであっという間に亡くなった、もう一人は心臓移植でしか助からない難病で30歳という若さで亡くなった、心臓でない腎臓・肝臓なら生体肝移植で彼を助ける事が出来たであろうが心臓は一つだけなのでどうする事も出来なかった私は病死は二人の寿命だったんだとあきらめもついたが心臓移植しか助からないと医師に宣告された彼は小さな子供と、奥さんを残して亡くなった彼の母は火葬場の焼却場の扉を閉める際に狂ったように扉を叩きながら『焼かないでくれ』と叫んだ、あの光景は今でも目に焼きついて忘れる事はない。ほかの二人は私の仕事関係の方で自ら命を絶つた。当時は、私自身も次から次へと四人の死のショックで鬱の状態が暫く続いた。当時は彼らが自死した本当の理由は彼ら自身しか分からないのだろうが,彼らは死ぬ前に残された私や友人の家族は悲しみの中生きて行かなければならないことをどうして考えてくれなかったんだろうかと思う、その前に相談してほしかったと今でも悔いが残るが彼らは当時そんな前向きに考えられる余裕もなく死を選ぶしかなかつたのか?私は彼らの心の中までは知り得ない。私がいつか天国で彼らに合うことになつたら、彼らが年取った私の顔を覚えてくれているのか分からないが。もし合えたら、尋ねてみたい事もたくさんある。いつ、彼らに合えるか知らないが 私は、もう少しこの世界で生きていたい。この瞬く星の中のどこかに友人達はきつといるんだろうと思ってる。の曲を思い出す。山から戻って来ても自宅で聞いていると飯豊山頂で見た煌めく星空を思い出す。今でもスマホの着信音はTears in Heavenの歌が流れてくる。
下記キンドル電子書籍は,石井克典(いしいよしのり)著 『現代の風景3・11前後の日本社会』
この本の中で小児がんで闘病中の幼い女の子二人の話が出てくる闘病で苦しい中、精一杯生きようと頑張って生きた少女の話が出てくるまだ幼い女の子である、大きくなったら沢山したい事や夢もあったんだと思うが少女は懸命に治療に耐えた、それは、それは苦しかっただろうそれでも生きようと頑張ったのだが少女の命の灯は儚く消えて、星になってしまったが大人になつたらやりたい夢もたくさんあっただろう。おしゃれもして、幸せな結婚をして、お子さんが生まれ母になり普通の生活さえも送ることが出来なかったのである。生きたくても生きられなかった命もあった事を自分の事として考えてほしい。是非、皆さんも他人事と思わず骨髄バンクへの登録をなさってください、あなたの骨髄移植で助かる命があります。決して死ぬことは考えず一人で悩まずに友人、親族にまず悩みを吐き出して大切な命を大事にしてください。それができない時は下記の公的悩み相談窓口に遠慮なく悩みを吐き出してください。
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現在・悩みをお持ちの方は無料の悩み相談窓口。
『♯いのちSOS 0120ー061-338』まで
※このブログ記事・写真の無断引用はできません※
こういう山頂で、星空を眺めながら身を置いて下界の喧騒や仕事の忙しさから離れることも大事な時間だと思う。しばらく星空を見ながらバーボンの水割りを飲んでも標高2000mの夜はさすがに寒くなって来たので小屋に入り寝袋に潜り込む、ここでも私一人だけで山小屋には他の登山者はいなかった。
6月初旬はまだ高山植物の花も少ない。なので6月初旬の時期に登る人はほとんどいません。皆さんは7月第一週の山開き後に北アルプスのミヤマリンドウの変種で絶滅危惧種2類のイイデリンドウ(7月8月頃が見頃です。開花時期に是非登ってください。飯豊連峰最高峰の大日岳の残雪もなくなり登頂出来ると思います。御西岳小屋の一帯付近がイイデリンドウお花畑になつており霧がかかると天国ってこんな場所なのかも知れないと思ってしまうほど綺麗です。この景色を見たいがために 7月の山開き後になると飯豊山に登る登山者が急に増えてきます。下記写真の中央の山が御西小屋から見た飯豊連峰最高峰大日岳です。(標高2128m)
翌日の朝に重い登山リユックを御西岳小屋に置いたまま,小屋を出て(アイゼン・ピッケル・非常食だけ持って)⇒飯豊連峰最高峰の大日岳の麓まで歩いてから大日岳の登頂に望むが残雪が前日の気温上昇で残雪もグシャグシャでアイゼンの刃もピッケルも雪面をがっしり固定出来ずに残雪ごと崩れ落ちる危険を感じたので、登頂は危ないと判断し断念しました。登ってる人間は私一人で誰も周りにはいないので雪渓ごと崩れ落ちても誰も見ていないので雪の中に閉じこまれて夏まで見つけられず行方不明者になって亡くなった友人のところに行ってしまうところでした。絶対に山で無理をしてはいけません無事に自宅に戻る事を優先してくださいね、山は逃げませんからまた登ればいいだけです。飯豊連峰最高峰大日岳の登頂断念⇒御西小屋に戻り(登山リュックを回収し日持ちのする食品を御西小屋に次の登山者の為に予備食を置いていき下山開始の為御西小屋を出発)⇒駒形山⇒飯豊本山⇒より下山開始⇒御秘所(要危険箇所)⇒切合小屋⇒種蒔山分れ⇒ 三国岳小屋⇒地蔵岳⇒川入口へ飯豊山から川入口までの下山区間だけは熊との遭遇の危険があったので、休息する場所には熊がいないことを確認しながらカロリーメイトを口に放り込んでまたすぐに歩き出す。飯豊山本山から福島県側の種時山⇒三国岳小屋(3泊目予定×)⇒地蔵岳経由で川入口までの縦走日程は3泊4日の計画だったのですが、下山中に切合小屋や三国岳小屋は熊により壁も破壊されてどこの壁も穴だらけで山小屋で休んでる状態じゃないほど中は熊に荒らされており、仕方なく山小屋の宿泊は無理だと諦めてそのまま熊除け鈴以外に大きな声で歌いながら(人間がここにいるよ)熊との鉢合わせを回避しながら下山することにした、3泊4日の計画が2泊3日の強硬スケジュールになってしまいましたが地図のコース通りに何とか縦走出来ましたが二度とこんな思いで縦走はしたくないと思った、精神的にも体も疲労でとにかく早く下山して電車に乗り自宅で温かい風呂に入り、ゆっくりふかふかの布団で眠りたかった。
当時、熊の生息域の飯豊連峰にある、7月初旬の飯豊連峰の山開き前の山小屋は、木造りで内部や外側の壁が熊の爪で壁には穴が開いており山小屋の周りは熊の足跡だらけ、縦走の疲れと大日岳の登りの疲れもあったので三国岳小屋に宿泊して疲れた体を癒してから下山するつもりだったのだが、外壁の壊れた穴から熊に突然山小屋に入りこまれたら逃げ場もない。山小屋に食べ物があることを熊も学習しているので私が小屋で就寝中に山小屋に入られたらケガだけでは済まないので、仕方なく宿泊せずに下山するしかなかった。私も大日岳の疲労と縦走疲れでフラフラの状態でやっとの思いで無事にケガなく下山が出来ましたが、わたしのように予期せぬアクシデントも起こることもあるので余裕ある登山計画を立ててください。私は、縦走中は天気も崩れることなく快晴が続いたので運良く無事にケガも無く下山出来たのだと思う。今では、飯豊連峰の熊の生息域にある山小屋は7月初旬の山開き前でも頑丈に熊の爪でもびくともしないように鉄板で囲われて熊の生息域の山小屋は造られていますので安心して、山開き前でも、宿泊できるようになりました。(掲載してる地図上では大日杉小屋になってますが川入口登山口に降りる登山道もあります。私は川入口登山口からタクシーを呼んで山都駅に着く、ここで縦走中の私が勘違いしていた事にきずいた(飯豊山本山小屋と御西小屋が同じだと勘違いしていたので訂正いたします。ごめんなさい。)山都駅付近は日本蕎麦で有名な場所ですので是非一度ご賞味あれ、山都駅より、磐越西線経由で新潟駅に到着飯豊連峰縦走約38Kmを2泊3日で走破。とにかく早く家に戻り最初に暖かいお風呂に入って布団でゆっくりと身体を休めたかった。縦走した後で思った事ですが、登るなら7月の梅雨明け後の山開き( 毎年7月の第1週の土曜日と日曜日に開催)の後、私の計画した縦走路の反対のコースから登る方が良いと思いました。御沢野営場の駐車場に自家用車を止めて置きそこからしばらく歩き川入口登山口より三国岳経由で飯豊本山に登った方が良いと私は思った。磐越西線の山都駅からバスが出てるがバスでは登山開始時間には遅いので気温の上がる時間に登山開始は避けたい、タクシーで相乗りで行ったほうが早い!自家用車で行くなら川入口卸沢野営場登山口に駐車場スペースに車を置いてから⇒三国岳経由⇒飯豊山に登るコースの方が、飯豊山の山頂まで山小屋が充実しているので途中体力に合わせながら無理のないように飯豊山⇒駒形山⇒卸西小屋に宿泊が一番良いと思った。あとは新潟県側の奥胎内⇒大石山⇒頼母木小屋⇒朳差岳山⇒飯豊山に向かうコースもある。飯豊山頂上頂付近は7月~8月頃には北アルプスに咲いているミヤマリドウの変種で絶滅危惧種Ⅱ類に分類する飯豊山頂付近一帯でしか見られない貴重なイイデリンドウの開花時期です。(下記写真)『滅危惧II類とはI類ほどではないものの絶滅の危険が増大しているもの示しています。』最近の急激な気球温暖化により絶滅危惧種がどんどん失われていくかも知れませんね。また2023年はブナの実やドングリが凶作の年で穴持たずの熊が増えているので2024年の春からの登山はどこの山でも充分注意しながら熊除け鈴・熊撃退スプレー・携帯ラジオは必ず持つて登りましょう
飯豊連峰に登る登山口は色々あるので登山地図をよく見て自分の体力に合った登山コースを調べておきましょう。
飯豊連峰は複数の方達と登ったほうが安全です。そう言っておきながら私は夏山は山小屋など人が多く混む場所が苦手なので、まだ登る人の少ない6月初旬頃に一人で登るようにしています。江戸時代の会津藩では飯豊本山の頂上にある神社まで15歳の男子(元服)今でいう成人までに登らなければ大人として認めてもらえない信仰の山でした明治時代に廃藩置県で福島県より飯豊山頂上の神社までの登山道の幅だけ信仰の山として福島県に残してほしいとのことでこの登山道だけが福島県となり「へその緒県境」と呼ばれるようになり全国的にも珍しいびつな県境になりました。
ツキノワグマは、4月頃に冬眠から目覚めますが、この頃はあまり活発には活動しません。6-7月頃に交尾をし、10-11月頃は冬眠のために普段より多くの餌を食べ、12月に冬眠します。6-7月に交尾をしたメスはまだ妊娠の状態ではなく、冬眠中に受精卵を胎盤に着床させて妊娠、2月頃に出産して授乳を開始し、他のクマより1ヶ月ほど遅れて地上に出てきます。ですから6月頃は熊は親子で動き回るので親熊は子熊を守るために非常に危険な時期です。熊と鉢合わせたら4~5mの距離から熊撃退スプレーを使用してください。できれば風上から鼻先に向けてスプレーしてください。からし成分が入っているので風上側から噴射してください。風下ですと自分にかかってしまいますから、それでも向ってきたら地面にうつ伏せ状態になり、顔と首をを守り、首には、リュックなどがあれば、頭や首にのせて身を守る体制をとってください。人間の首にはたくさん大事な血管や神経が通っているのでカタオルかリユックで首を保護し、致命傷を避けてください。決して熊から目を離さず背中を見せて走って逃げないないことが大事です熊との5m位の距離がある場合は熊に最初は小さな声をかけて徐々に声を大きめにしていき立ち去るのを待つてください。熊が去るまで待ちます。この時期は、親子の熊が餌探しで活発に動きまわってますので充分注意しましょう。熊除け鈴は必ず身に付けて鳴らしながら行動しください。私が登山してる頃はまだ熊撃退スプレーなどはまだ一般的に普及しておりませんでしたので熊除け鈴と携帯ラジオが主流でしたがその後熊撃退スプレーは、登山者の必需品になりましたね。もし途中で小熊を見かけたらすぐにその場から離れましょう、近くに必ず親熊がいるはずです。特に親熊は子熊を守るためにこの時期は凶暴ですからすぐにその場からすみやかに離れましょう。人が木の上に逃げるのは熊も木登りが上手なのでとても危険です。熊がすぐ近くにいると強烈な匂いの獣臭がします。幸いにも私は縦走中に熊の獣臭を嗅ぐ事は一度もなかったが木に残した熊の爪の研ぎ跡はぶなの木にたくさん残ってました。
御西岳小屋⇒駒形山⇒飯豊山頂まで戻り、飯豊山か福島県側の種時山⇒三国小屋(3泊目予定)⇒地蔵岳から⇒川入口までの縦走は3泊4日の計画だったのですが、下山中に熊による予期せぬ事態が起きて、仕方なく2泊3日の強硬スケジュールになってしまいましたが地図のコース通りに何とか縦走出来ました。熊の生息域の飯豊連峰にある、7月初旬の飯豊連峰の山開き前は、どこの山小屋も木造で内部や外側の壁が熊の爪で壁には穴が開いており山小屋の周りは熊の足跡だらけ、縦走の疲れと大日岳の登りの疲れもあったので三国岳小屋に泊まって疲れを癒してから下山するつもりだったのだが、小屋は熊にめちゃくちゃに荒らされており外壁も穴だらけなので壊れた穴から熊に突然小屋に入られたら逃げ場もない。山小屋に食べ物があることを熊は学習しているので私が小屋で休息中山小屋に入らる恐れがあるので、疲れていても、仕方なく宿泊せずに下山するしかなかった。私も大日岳の疲労と縦走でフラフラの状態でやっとの思いで無事怪我なく下山が出来たのは天気も良く晴れていたので運が良かったと思う。現在は、飯豊連峰の熊の生息域にある山小屋は頑丈に熊の爪でもびくともしないように鉄板で囲われて熊の生息域の山小屋も頑丈に造られていますので、7月第一週の土曜日の山開き前でも安全に宿泊できるようになりました。今は熊の爪にもびくともしない下記写真のような鉄板で囲まれた頑丈な山小屋に造り変えられて安心して宿泊できます。
地図上では三国岳⇒地蔵岳⇒最終下山場所が大日杉小屋になってますが川入口にも降りる事もできます。飯豊連峰の登山地図を広げながら私の登山記録を読んでいただければ縦走路のースがよく分かると思います。初めての方は私が飯豊連峰を縦走した時の登山道を赤色で示したので体力・脚力に自信のある方は参考にして下さい。今回は、梶川尾根・丸森尾根登山口ともどちらから登っても(扇ノ地紙)に繋がります⇒北股岳⇒梅花皮小屋(1泊目)⇒烏帽子岳⇒稜線伝いを歩いて⇒御西岳小屋(2泊目)⇒大日岳⇒飯豊山までの縦走路を選択し飯豊山から福島県側の種時山⇒三国岳⇒地蔵岳⇒川入口まで下山の計画コースにしました。地図上では三国岳⇒地蔵岳⇒下山した場所が大日杉小屋になってますが川入口登山道になります。梶川尾根も、丸森尾根も登ったが両方とも急こう配ではあるが丸森尾根の方が登りやすいと思った、今回は山形県側の梶川尾根口から登り始め登山用リュック約20kgを担ぎ梶川尾根登山口 (飯豊温泉前)からまだ薄暗い早朝4時半頃から登山を開始※ご注意※梶川尾根登山口(飯豊山荘前)まで行く道路は途中から道幅が狭く落石など通れない事があります。登山口前まで通行期間(夏場の期間はOK)決められているので事前に山形県側の小国町役場に確認してください。福島県側から飯豊山に登る方は喜多方市役所観光協会様に山の状況や小屋の事を事前に確認しましょう。
2023年10月1日のNHKさわやか自然百景で 飯豊連峰 夏 』が放送されておりました。
天気予報も5日間は、晴れが続き天気が崩れる事はない事を確認して私は登山開始日を
決定しました。私は、友人に送ってもらうことができ山形県側の飯豊山荘前に到着.
米坂線は2022年の水害の為に小国駅まで当分、列車では行けませんので現在、代行バス
か自家用車での移動しかできません。飯豊山荘前からは、丸森尾根登山口・川尾根登山口・石転び沢雪渓コースの三つがあります、石転び沢雪渓は夏場の登山シーズンは名前の通り左右が尾根に囲まれているので夏のシーズンは落石が多く雪渓をスゴイ勢いで落石が転がってくる時があるため安全ヘルメットを被る必要があります。雪渓の所々に裂け目や見た目では分からない雪渓の下の沢の水の流れで出来た空洞が所々にあるので穴抜けで落ちてケガをしてしまうと、飯豊連峰の単独縦走が出来なくなる恐れがあるので、リスクの少ない、急こう配ではあるが、比較的距離的に短い梶川尾根からの登山コースを選択しましたが皆さんには、赤線で示してある。丸森尾根の登山コースをお勧めいたします。急こう配の登山道なので覚悟して登りましょう。飯豊連峰はどこから登っても、きなりの急こう配から始まります。尾根にはもう残雪もないので、山形県から新潟県そして福島県の三県を跨ぐコースにしました。飯豊連峰の登山地図をご自分でお買い求めいただき必ずコースをご自分の頭に
この記事の地図の時間割は私の体力より若干余裕をもつた時間で記入されているような
ので複数人で登るのなら(飯豊連峰登山経験がありガイドがきる方)と余裕のある縦走計画を組んでください。登山される前に必ず(熊除け鈴と)※(最近は熊除け鈴より、人の声の方が熊は嫌がるようです。)熊撃退スプレーは専用のバックルに収納してすぐに噴射出来るようにして下さい。梶川尾根登山口か丸森尾根登山口から登っても最終的に扇ノ地紙に合流します⇒門内小屋⇒北股岳⇒梅花皮小屋(1泊目)(地図上では門内小屋が1泊目になつてますが私は思ったより距離を稼げたので早めに北股岳を登頂し、梅皮小屋を⇒1泊目としました)⇒烏帽岳⇒御手洗池⇒天狗の庭は(池塘が枯れて補修工事中なので登山地図には表記されていないかも知れません。)⇒御西岳小屋(2日目)に登山リユックを置いて(アイゼン・ピッケル・非常食だけ持ち最高峰の大日岳登頂を試みるが、前日の気温上昇により残雪ごと滑落の危険を感じ登頂を断念⇒御西小屋に戻り(登山リュックを回収)⇒駒形山⇒飯豊本山経由で下山開始⇒切合小屋⇒種蒔山分れ⇒ 三国岳小屋⇒地蔵岳⇒川入口卸沢の駐車場へ飯豊山から川入口までの下山区間だけは熊との遭遇の危険が合ったので寝不足の目を擦りながら軽い食事と休息する場所は見通しの良い岩場を探して周りに熊がいないことを確認してカロリーメイトを口に放り込んでまたすぐに歩き出す。(掲載してる地図上では大日杉小屋になってますが卸沢川入口に降りる登山口もあります。山都駅(磐越西線経由で新潟駅到着)で飯豊連峰縦走約40Kmを2泊3日で走破。縦走した後で思った事ですが、登るなら7月の梅雨明け後の山開き( 毎年7月の第1週の土曜日と日曜日に開催)の後、私の計画した縦走路の反対のコースから登る方が良いと思いまた。御沢野営場の駐車場に自家用車を止めて置きそこからしばらく歩き川入口登山口より三国岳経由で飯豊山に登った方が良いと私は思った。
磐越西線の山都駅からバスが出てるがバスでは登山開始時間には遅いので気温の上がる時間に登山開始は避けたい、タクシーで相乗りで行ったほうが早い!自家用車で行くなら川入口卸沢野営場登山口に駐車場スペースに車を置いてから⇒三国岳経由⇒飯豊山に登るコースの方が、飯豊山の山頂まで山小屋が充実しているので途中体力に合わせながら無理のないように飯豊山⇒駒形山⇒卸西小屋に宿泊が一番良いと思った。
⇒朳差岳⇒飯豊山⇒に向かうコースも良い。飯豊山頂上頂付近は7月~8月頃には北アルプスに咲いているミヤマリドウの変種で絶滅危惧種Ⅱ類に分類する飯豊山頂付近一帯でしか見られない貴重なイイデリンドウの高山植物開花時期です。下記写真)「滅危惧II類とはI類ほどではないものの絶滅の危険が増大しているもの示しています。』最近の急激な気球温暖化により絶滅危惧種がどんどん失われて行くかも知れませんね。
飯豊連峰に登る登山口は色々あるので登山地図をよく見て山の情報を調べておきましょう。
梶川尾根は、やせ尾根から始まり、まるで木にしがみついてるセミのような格好で登り始める、途中から長年の雨水でえぐられた登山道には木の根を手で掴んで、不安定な足場を確保しながら登るしかない状態がしばらく続くそれが終わったかと思えば、ものすごい急勾配の登山道を何度も途中休息しながら,心が折れそうになるほどのきつい傾斜が続く,途中休息中にまわりの景色を見てみると、木々の若葉も谷からの風でさわさわと揺らいでいる光景を見ていると正岡子規の「故郷やどちらを見ても山笑う」の句を思い出す。飯豊連峰はどこの登山口から登ってもいきなりの急勾配の登りから始まるので今まで登った山の中でも、もの凄く苦しい登山道でした。もう少しで急勾配も終わるだろうと休みを繰り返しながら梶川峰まで何とか登り続けた膝に伸縮性の薄手サポーターを当てておいて正解だった。出来るだけリュックの重さを最低限にしても簡易ガスコンロやビール500m缶を2本(6月初旬の山小屋は山開き前で管理人もおらず飲料関係などは販売していません。但し、寝袋持参であれば山小屋での寝泊りだけは出来ます。簡易ガスコンロで外でお湯を沸かしてレトルトの食品などで料理してください。アイゼンなどを登山用リュックに詰め込むと、どうしても20kgほどの重量になってしまう。重くなるのならビールを飲まなきゃいいのにと思われるかも知れませんがこれだけが呑み助の楽しみなので譲れないです。(笑)
(最近のアイゼンは装着が簡単で軽量なものがある。)テント持参となるとランタンなども必要になるので30kgもの重さのリュックになってしまうために、計画は山小屋泊まりの縦走コースの計画にしました。前年は登山中に膝を痛めた経験があるので、もちろん今回は準備万端の体制で登り始めた途中で梶川尾根の給水は湯沢峰のちょっと先に白い杭があり水のみ場と書かれているのでそこから50mほど降りると給水ができます。ここから反対の倉手山の残雪当たりを見ると小さな黒いものが動いているのが確認でき熊が餌を探して移動して動いていました。昔からまたぎの里でも有名な場所でもあり、途中、天然記念物の日本カモシカが突然現れて軽かに急勾配の坂を軽々と登って行く脚力がうらやましい限りです。私がもっとも苦手な蛇がとぐろを巻いてるところに遭遇したりと、自然がまだ手つかずの山だと実感するのだが地球温暖化のせいでもあるのだろうが、ここ十数年で登山道にあった池塘などが枯れたり雪渓の雪の量も少なくなってきているのも実感します。最近山に登る方で短パンや半そで登られる方もいますが、私は、厚手のハイソックスにニッカズボンで登るので、肌の露出はできるだけ避けた方がよろしいです。夏山シーズンは暑いかも知れませんが1500m以下の標高にはまむしなども気温が上がってくると木の根元は涼しいのでまむしなどが休んでいることも多いので噛まれれば命の危険もあります。8月は特に子をお腹に抱えているメスのまむしは気性が荒いので充分注意が必要です。まむしは卵胎生で、お腹の中でふ化して子まむしのままで産みます、まむしは、お尻にある総排泄腔と呼ばれる部分から産まれる卵で孵化ではなくまむしそのものの、小さいままの姿で生まれてきます。充分気をつけて休息位置も選んでください。特徴は迷彩色柄がまむしです父は時々山菜取りに出かけたりすると、平気でまむしを捕まえてきては、まむし焼酎を作り知人に配っている、父は下戸で飲めないくせに一升瓶の中の酎に浸っているまむしでさえ怖いのにそれを私に飲んでみろ父が言うが遠慮させてもらった。どうしても、理科の教室にあった教材用のホルマリン漬を想像してしまう。とにかくまむしに嚙まれないよう長ズボン、できれば軍手などで身体を守ることを忘れずに早朝早めから登山を始めて標高が高くなれば涼しくなりますからそれまではガマンです。水分補給や塩飴でも舐めて小まめに水分をとって登りましょう。虫除けスプレー絆創膏なども持っていきましょう。登山中は色々な状況が起こりますから複数の方達と登ったほうが安全です。そう言っておきながら私は夏山は山小屋など人が多く混む場所が苦手なのと鼾の大合唱で寝不足になってしまうので、(耳栓は必ず持つて行った方が良い。)まだ登る人の少ない6月初旬頃に一人で登るようにしています。昔から私はちょっと変わった子供のようで小学生1年の頃は、教室からいつも抜け出し虫が大好きで校庭で一人ぼっちで虫と遊んでいたとのこと、そこへたまたま私の父が夜勤明けで校庭脇の道路を通った時に私が一人で遊んでいるを見られたことがあり随分と父は心配したらしい。どうも、その頃からどちらかというと一人での行動が楽だったようです。登山の話にもどります、6月初旬頃は熊も餌探で活発に動き回っていますので熊除け用鈴や携帯ラジオなどを鳴らしながらのほうが効果があるようです。熊撃退スプレーは必ず用意しておきましょう。ぶなの実・どんぐりの実が凶作の年で(特に2023年)は熊の餌不足で里山まで降りてきますので登山シーズンに山に登る方は気を緩めず熊に充分注意してください。11月~12月は冬眠向けても熊も栄養補給に必死ですので
熊と鉢合わせしたら熊撃退スプレーを使用してください。鼻先に向けてスプレーして
ください。からし成分が入っているので風上側から噴射してください。風下ですと自分に
かかってしまいますから、それでも向ってきたら地面にうつ伏せ状態にな顔とお腹を守り、首には、リュックなどがあれば、頭や首にのせて身を守る体制をとってください。人間の首にはたくさん大事な血管や神経が通っているのでカタオルかリユックで首を保護し、致命傷を避けてください。決して熊から目を離さず背中を見せて走って逃げないないことが大事です熊との5m位の距離がある場合は熊に最初は小さな声をかけて徐々に声を大きめにしていき立ち去るのを待つてください。熊が去るまで待ちます。この時期は、親子の熊が餌探しで活発に動きまわってますので充分注意しましょう。熊除け鈴は必ず身に付けて鳴らしながら行動しください。私が登山してる頃はまだ熊撃退スプレーなどはまだ一般的に普及しておりませんでしたので熊除け鈴と携帯ラジオが主流でしたがその後熊撃退スプレーは、登山者の必需品になりましたね。もし途中で小熊を見かけたらすぐにその場から離れましょう、近くに必ず親熊がいるはずです。特に親熊は子熊を守るためにこの時期は凶暴ですからすぐにその場からすみやかに離れましょう。人が木の上に逃げるのは熊も木登りが上手なのでとても危険です。熊がすぐ近くにいると強烈な匂いの獣臭がします。幸いにも私は縦走中に熊の獣臭を嗅ぐ事は一度もなかったが木に残した熊の爪の研ぎ跡はぶなの木にたくさん残ってました。もう間もなくで急勾配もそろそろ終わり稜線の登山道も徐々に緩やかにな扇ノ地紙までもうひと踏ん張りで、まもなく門内小屋です。
登山記録はあくまで参考です。必ず登山地図をお買い求めになり、ご自分で無理のない登山計画を立てて自己責任で楽しい登山をなさってください。
※ お礼 ※ 6月初旬豊連の飯豊単独縦走は全体の縦走コースが分かるように書きました。6月初旬豊連の飯豊単独縦走の閲覧数約5000名の方が見てくださり、私自身が大変に驚いております。飯豊連峰に興味を持ってくださりありがとうございます。ぜひ、一生に一度は絶滅危惧種Ⅱ類に分類されている下記写真のイイデリンドウの貴重な花をご覧になつてください。(開花時期は7月頃です。)
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