1700年代の後半になると、アメリカのバージニア州やメリーランド州で、 タバコの葉の栽培をおこなうようになりました葉巻用のたばこの生産です。その時に、広い畑で植え付けたり、刈り入れするために、働く人が必要になりました。この時に、イギリスの本国や、アメリカのニューイングランドには、黒人の奴隷を商う人たち、つまり奴隷商 人たちが、このタバコ畑の持ち主(プランターと言います)に奴隷を「購入」するように持ちかけました。イギリスは、奴隷を「商品」として売り買いできるような法律を作っていきました。その時の白人の 人達の頭の中には、黒人が白人と同じ人間であるという考えはありませんでした。イギリス政府が、奴隷の貿易 を正式に廃止したのは1807年です。1776年にアメリカはイギリスから独立してアメリカ合衆国という独立国になりました。その時にも、同じ 国に住んでいた黒人が、白人と同じ国民であるという意識は少数意見でした。黒人奴隷の廃止を訴えた人たち努力は、その後少しずつアメリカの北部より広がっ ていきましたが、1861-65年の南北戦争(=アメリカ合衆国の内戦)が終わるまで約90年間、憲法は奴隷制を認めていたことになります。この時に「解 放」された黒人奴隷は、およそ400万人いたといわれています。 現在の多くの歴史家たちは、それはアメリカの経済が奴 隷労働に依存していたからだ、つまり、黒人の労働なしに今のアメリカという国はありえなかったからだ、と言います。まさに黒人奴隷がアメリカをつくったといっても過言ではありません。しかし肌が黒いということだけで現在社会のアメリカでも黒人の働き口も劣悪な職場環境で働されているのが現状です、差別意識が根底にある以上白人と黒人の今回のような白人警察官が黒人の首を踏み続けた結果死んでしまったという痛ましい結果になったのは残念なことです。今後もこのようないざこざが黒人達の間にくすぶり続ける以上水と油の状態が続くのかもしれません。
しかし、イギリスの奴隷商人であった白人のジョンニュートンは奴隷船に当時22歳であった時に船が暴風のために難破しかけて、これを機会に改心し奴隷船を降り、牧師となった1769年より毎週教会で祈りの集会を始める1779年に「ウオルニーの賛美歌集」を書き始め、出版するこの中に後に有名になる「アメージング・グレイス」が収録された。この頃から昔奴隷商人でもあったジョン・ニュートンは奴隷貿易反対運動に関わり、アメージング・グレースの和訳を読むと「なんと美しい響きであろうか 私のような者まで救ってくれる。道を踏み外しさまよっていた私を神は救い上げてくださり今まで見えなかった神の恵みを 今は見出すことが出来る・・・・・・・・・・・・・・・・以下続くこれはジョン・ニュートンの今まで自分がしてきた事の奴隷商人の自責の念が込められた賛美歌といって良いだろう、この「アメージンググレース」はゴスペルとして教会で歌われ続け、有名な賛美歌として現在も歌われ続けられている。この賛美歌は白人もなく黒人も関係なく歌われ続けており、ジャズはアフリカ音楽と西洋音楽が融合して出来上がった音楽ですから互いの過ちを許せる心を持ち合わせてほしいものです。そういう人達がアメリカ社会の中でも少しづつ芽生えてくれば共に肌の色に関係なくアメリカ社会も変わってくるのだろうが、そこの域にまでは互いに尊敬の念という気持を持つていけなければ、まだまだ無理なのかも知れません。皆さんも一度は聞いた事があるはずです。心が洗われるような綺麗な賛美歌ですね。余談ですが,私も大学の終わりに3週間ほどアメリカ旅行で東部・南部・西部地区を旅行で回った事があったが差別は黒人だけでなく黄色人種(アジア系)私も経験したことがある、サンフランシスコだったと思うホテルに宿泊した時にプールがあり白人だけが利用していた、私もプールに入って泳ごうとプールに入った途端、白人がすべてプールから出たのである。最初は気のせいだと思ったがその白人が私に対して怒鳴っている声が聞こえてきたその中でハッキリ「お前はプールに入るな。」とアメリカ人に言われたことがある黒人、でも黄色系に対しても差別する愚かな白人至上主義的考えの人も少なからずいる事を感じさせられたアメリカ旅行でもあった。
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