top of page
![]() | ![]() | ![]() |
|---|
検索
All Posts


『自己実現力』
小さい頃から野球・サッカー・水泳などんなスポーツでも身体を動かしている 子供は「 自分で思い描いたことを実現する力」自己実現力が身につきやすいそ うである 。教育評論家の親野智可等(ちから)氏は『子どもには、やりたがる ことを、やらせてあげるのがいちばん』だとアドバイスしています。 また、そばで見守り、家族で応援してあげることも大切なのだそう。自分で 始めた事を応援してもらえると自信がついて、自己肯定感(ありのままの自分 を受け入れる気持ち)が高まるからです。そうやって自己実現の喜びを味わう ことができれば、より自らの意思で行動する力が身に付きやすいようになると の事です。 HASHIMOTO BLOG Wix.COMで作成したブログ記事は「Wix マルチリンガル」機能を利用することで、日本語で作成したサイトを他の言語に翻訳できます。この機能は180以上の言語に対応しており、サイトのコンテンツを手動またはGoogle翻訳による自動翻訳で多言語化することが可能です。なので世界で一億6千人の方が利用されてブログ記事を見られておられます。多言語で物凄い

橋元雄二
2025年12月10日読了時間: 2分


『求めない』のがいいつきあい
☆ 「 野に咲く花は、何か下心があって空を飛ぶ蝶々を招いているわけではない。ただ無心に、精一杯咲いている。また蝶々も、花に気に入られたいという下心から花を訪ねているのではない。ただ花の美しさに誘われて、無心に集まっている 」という禅語がある。花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を訪ねる。良寛は、男性も女性もそういう関係が良いと言っています。良寛は、「男性と女性のつきあい方も、そのようなものではないだろうか」と述べています。男性でも女性でも気に入られるようにお世辞やおべっかを使うこともなく、お互いありのまま自然な姿でいながら、お互いに求め合うような関係がいい」と良寛は言っています。「そうすればお互いに心安らぐ、良い関係になれる。」と良寛は言いたかったのでしょう。下心を持っている相手は警戒しなければなりません。お世辞を言う相手にはどう対処すればいいか困ってしまい、逆に疲れてしまいます。自分を良く見せようとして、背伸びしたりするのも疲れてしまいます。そういう関係は決して心安らぐものではないでしょう。お互いに下心を持たない事が一番大事であり、

橋元雄二
3月27日読了時間: 2分


『散る桜残る桜も散る桜』
桜の咲く季節になると私はいつもこの句を思い出す 「 今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。 そのことを心得ておくこと 。」 への戒めの言葉です。 「散る桜 残る桜も 散る桜」という句は、太平洋戦争時の特攻隊員が遺書に多く記したことで広く知られています。 良寛の辞世の句であるとずーっと私は思っていたが 、どうも違ったようです。良寛の最後を看取った人は誰もこの句を記していないし、伝承もない。もしかすると、古句が良寛の逸話にまぎれこんだのかもしれない。本来は良寛の辞世の句は『 うらを見せおもてを見せて散るもみぢ 』が正しいようです。良寛は秋ごろにはもう床に伏しており正月明けに亡くなっておられ春の桜の花を見る事はありませんでした。最後は良寛を弟子の貞心尼に辞世の句に残していたようです。

橋元雄二
3月19日読了時間: 1分


『 一生成香 』
この言葉は良寛の座右の銘として有名である 意味は 「一生成香」(一生香(こう)を成(な)せ)。 「 生涯いい香りを発しながら生きよ 」という、ある意味では、良寛の自分に対するきびしい戒めのことばです。 一生努力して、清く正しく美しく生き、万人に慕われる人格者となれ良寛はまさに「香を成した」生き方をした僧でした。

橋元雄二
3月10日読了時間: 1分


『飯豊連峰またぎの里』
飯豊連峰が美しく広がる大パノラマ。山形県小国町小玉川地区は、昔から「マタギの里」としてマタギ文化が残っている集落です。すそ野に広がるブナの森、そして清流玉川、内川は東北のアルプスと称される飯豊連峰の登山基地として、豊かな「山の幸」「川の幸」、そして熊狩りに代表される狩猟など暮らしの糧をもたらし、まさに大自然に生かされてきた集落です。当地区では、時代の流れと共になくなってしまう恐れがあるマタギ文化を伝えていくべく、支援していただける人との協力により、新たな視点で自然を生かした地域づくりに取り組んでいます。 “マタギ”。それは21世紀に入った現在においては、幻のように消えさろうとしている言葉です。しかし、往時の隆盛は望むべくもありませんが、東北地方や新潟県の山間部には、まだマタギと呼ぶ狩猟を業としている人々が暮らしています。もう伝統あるマタギのしきたりは厳密には守られていないかもしれませんが、それらの人々はマタギの自負心を胸に抱いて今も深山に分け入っているのです。 先祖代々伝えられてきた伝統あるマタギの精神。その基本精神は、山は山の神が支配する

橋元雄二
3月9日読了時間: 5分


『貞心尼に宛てた良寛の手紙』
貞心尼は武家の娘で、ある医師の元に嫁ぎましたが離婚し、その後良寛と知り合い弟子になった方です。二人はお互いに尊敬しあい弟子になったと言われた人で良寛と手紙のやり取りなどで交わす仲でした。そこには男女の関係もあったようです。それをとやかく言われる事を嫌った良寛と貞心尼には一緒に住むこともなく別々の庵で暮らしていました。その貞心尼がどういう事情があったか分かりませんが何かで落ち込み庵に引きこもってしまい、外にも出ようともせず庵にじーっとしていました。心配した良寛がこう励ましたのです。「仏教徒の仕事は、苦しむ人たちの心を楽にして上げる事です。そのために尽力している人がたくさんいます。しかし、あなたは庵の中に閉じこもってばかりというではないですか。苦しむ人の為に、あなたも外に出て活動しなさい。それが貴方自身の心の悩みを救う事になるのですから」と閉じこもるのは、自分にこだわっているからです、自分にこだわれば、いっそう苦しみが増すだけです。自分のこだわりを捨て、他人の為に尽くすことで、じつは自分の苦しみから離れられるのです。と良寛は貞心尼に励ましの手紙を送っ

橋元雄二
3月5日読了時間: 1分


『良寛、藁苞を下げる』
農家では、秋の収穫が終わった後来年用の種もみを農家の梁にぶら下げて保管していた。それを見た良寛は陽気が室内に満ちて暖かそうに見えたそうである。良寛は庵に戻りからの種もみを入れずに空の藁苞(わらづと)を庵の梁にぶら下げていたそうである。恐らくこれから迎える寒い冬にせめて藁苞を下げて気持ちだけは厳しい冬を乗り切ろうという良寛の覚悟が感じられる。● 藁苞とは水戸納豆を入れてある藁の包みのようなものである。

橋元雄二
2月25日読了時間: 1分


『ここでダメでもほかで役立つ』
茶道には「見立て」と言う言葉があります。「使えなくなったものを、その物の本来の用途とは別の方法で役立てる」という事です。実際に茶道では、汚れて水筒として使えなくなったひょうたんを、花入れとして再利用したりします。良寛もそのような日本人としての美点を持つ一人だったのでしょう。それは自分の性格や能力を、より上手に使いこなす事とも関係していくのではないでしょうか。自分の理想とした職業でなくても自分を生かせる道はきっとあると思います。 HASHIMOTO BLOG Wix.COMで作成したブログ記事は「Wix マルチリンガル」機能を利用することで、日本語で作成したサイトを他の言語に翻訳できます。この機能は180以上の言語に対応しており、サイトのコンテンツを手動またはGoogle翻訳による自動翻訳で多言語化することが可能です。なので世界で一億6千人の方が利用されてブログ記事を見られておられます。多言語で物凄い数のコメントが来るので返信出来る時間もございませんので,返信機能をストップしておりますのでご了解くださいませ。(I'm sorry but I do

橋元雄二
1月26日読了時間: 1分


『和歌は万葉集』
新潟県の(現)与板町で酒造家を営む山田屋の主人は良寛の親戚でもあり名を杜梟(とこう)といい俳句を能し、絵も描く良寛の良き理解者の一人であった。杜梟(とこう)が良寛に尋ねた事がある「和歌を勉強するにはどんな本を読めばいいでしょうか」と尋ねると、良寛は、「万葉集を読みなさい」と教えられた。しかし、わたしには「万葉集は難しいので、とそう言うと、「分かる歌だけで充分だ」と言われた。またある時には、「古今和歌集」はまだよいが、それ以外は読めたものではないと言っておられたそうである。良寛はあらゆる書物を読み漁った中で本当にそう思ったのだろう。 HASHIMOTO BLOG Wix.COMで作成したブログ記事は「Wix マルチリンガル」機能を利用することで、日本語で作成したサイトを他の言語に翻訳できます。この機能は180以上の言語に対応しており、サイトのコンテンツを手動またはGoogle翻訳による自動翻訳で多言語化することが可能です。なので世界で一億6千人の方が利用されてブログ記事を見られておられます。多言語で物凄い数のコメントが来るので返信出来る時間もござい

橋元雄二
1月21日読了時間: 1分


『山形県蔵王温泉スキー場の樹氷』
蔵王の樹氷を見るには、 山形蔵王温泉から蔵王ロープウェイを利用して地蔵山頂駅へ向かうのが一般的です 。樹氷の見頃は1月下旬から2月下旬で、この時期には「スノーモンスター」と呼ばれる迫力ある樹氷群を鑑賞できます 。 樹氷鑑賞のベストシーズン 蔵王の樹氷は、例年12月下旬から3月上旬にかけて見られます。最も美しく大きな樹氷、いわゆる「スノーモンスター」が見られるのは、 1月下旬から2月下旬 が最盛期です。3月になると気温が上昇し、樹氷が溶けて細くなるため、この時期を逃さないようにしましょう。 山頂駅付近は氷点下ー10℃までに下がりますので防寒は万全になさってスノーモンスターを見ながらスキーをされて下さい。急傾斜面の横倉の壁(カベ)最大斜度38度に挑戦なさる方はスキー上級者の方以外の方は見ればわかると思います。斜面と言うより崖ですね。笑 一度転ぶと下まで滑り落ちてしまうので上級者以外の方は危険ですから迂回路があるのでそこを滑ってください。私は昔はこの横倉のカベは滑れましたが今は自信がありません。 アクセス 海外の方は 東京方面から山形新幹線でJ

橋元雄二
1月16日読了時間: 2分


『良寛と酒』
ある年の夏のはじめ、良寛が托鉢に出ると,田んぼに憩うていた老農夫が、たちまち良寛を見つけ、呼び込んでご馳走をとらせた。敷物はどうにか、むしろで間に合わせたが、食物を載せる器がない。近くの桐の葉をとって,これに載せて差し出した。青天井の元で、酒盃をやりとりしていると、すぐに良寛はとろりと酔って、畦を枕に眠ってしまったという。こういうことは、よく合ったらしく、良寛の詩にもたびたび出て来る。良寛が酒が好物なのは、みんなが良く知っていたのである。良寛は、大酒豪ではなかったが、一杯やるといい気分になるようで五合庵で阿部定珍と飲んださいも「よしあしのなにはの事はさもあれど共に付くさむ一杯の酒』と詠んでいる。何がなんでもいいじゃないかと、すぐに酔って寝てしまう。良寛はまた酒をのむ時は必ずまずは一杯と盃にそそぎ相手が返杯するとそれを飲むいった具合に必ず同じ量の酒を酌み交わせて気をつかっていたそうである。 HASHIMOTO BLOG Wix.COMで作成したブログ記事は「Wix マルチリンガル」機能を利用することで、日本語で作成したサイトを他の言語に翻訳できます

橋元雄二
1月12日読了時間: 2分


『亀田鵬斎と良寛』
亀田鵬斎は江戸の儒学者で、有名な書家でもあり文人でもあり、江戸ではかなり有名な人でもあったが、亀田鵬斎 は江戸幕府の「寛政異学の禁」に猛烈に反発し江戸幕府より江戸所払いとなつたのでその時に信濃経由で越後と佐渡に遊学に出ていた。良寛の住んでいた五合庵の近くの出雲崎に来た時、亀田 鵬斎が出雲崎で、論語の講義をしていると、その席で大笑いする者がいた、鵬斎がむっとして、みてみると垢染みた衣を着た良寛であった。 孔子の話の郷党編の話の中で良寛が 鵬斎の解釈には 間違いがあると異議をとなえたその論語の話の解釈の意味に良寛は 鵬斎に向かって 「嘘は言うな」と指摘すると、 鵬斎は良寛が只者ではないと感じ講義が終わり鵬斎は良寛のいる五合庵まで、ついて来たという。その際に良寛が、亀田鵬斎の論語の過ちや、運筆の運び方を指摘しながら教えた。鵬斎は、大いに良寛を尊敬し、書法の秘訣を悟ったという。亀田鵬斎の論語の過ちや、運筆の運び方を指摘したりして。鵬斎は、大いに良寛を尊敬し、書の運筆の運び方の秘訣を良寛から教わったという。ある日夕立で亀田鵬斎がびっしょりになった姿の鵬斎と

橋元雄二
1月12日読了時間: 5分


『デイアルスキー』
障がい者の方や歩けない方でもスキー感覚を味わえるスキーがあります。なかなかスキーのスピード感でウインタースポーツをたのしめるデイアルスキーが長野県の戸隠スキー場では障がい者の方でも、スキーの感覚をデュアルスキーで体験が出来ます。興味のある方は戸隠スキー場の電話026-254-2106に予約されてみてください。事前に予約が必要。体重~80キロまでの方なら体験出来るそうです.インストラクターの方がおられるので安心です。 アクセス 車でお越しのお客様 最寄りインターチェンジは信濃町I.Cになります。長野方面よりお越しの方は浅川ループライン経由で約30分で戸隠スキー場に到着です。 私は昔このデイアルスキーなるものが国内になく私の娘も障がいを持つており、娘がまだ小さかったのでお姫様だっこでスキー場を滑った経験がありますがこれは体重80kgまで利用できるので多くの障がい者の方でもスキーのスピード感を味わえる時代になりましたね。

橋元雄二
1月8日読了時間: 1分


『山形県の月山で今冬も雪旅籠の灯り開催します』
⚫ 米有力旅行メディア『ナショナル ジオグラフィック(National Geographic)』が 2025年10月21日(火)に発表した「Best of the World 2026(2026年に行くべき世界の旅行先25選)」に山形県が選出されました。 ⚫ 選出の理由が(古くからの伝統と神秘的なアウトドア体験ができる旅行先) おめでとうございます。 雪が豊富なこの土地ならではのオンリーワンイベントです。開催期間は2026/1/31~2/23土日祝日は花火も打ち上げます🎆ICE BARは連日OPENしますよ~是非お越しくださいね🙋 (月山の朝陽です。)

橋元雄二
1月4日読了時間: 1分


『柿の実』
ある秋の日、良寛がいい気持ちで田舎道を歩いていると、頭の上で子供の泣く声がした。見ると小さい子供が,柿の実を取ろうとし木に登ったが、手が届かない。しかも降りるに降りられないので泣き出したのだった。良寛は気の毒になって、子供を降ろしてやったが、「よし今度はわしが代わって取ってあげよう」と木に登った。そして、一つ食べてみると、とてもうまい。この瞬間に、下の子の事を忘れてしまった。良寛はもう一つ食べた。うまいのでまた一つ食べた。下では子供が、「今くれるか、今くれるか」と待つていたが、このありさまを見ると、悲しくなって泣き出した。良寛は、びっくりして下を見た。「ほいしまった」あわてて柿の枝をゆさぶり、柿の実を落としてやった。このように良寛は夢中になると大事なことを忘れてしまう人だった。

橋元雄二
2025年12月27日読了時間: 1分


『来時の道を忘れる』
良寛が托鉢に「出かけた時の話である山道を托鉢しながら登って来たのであろう。山の頂で休息された。さて休息も終わり、再び托鉢する時に、良寛は、登って来た道に戻ってしまった。そして、ある家に托鉢した。良寛の姿を見た家の者が「さっき来たお坊様じゃ」と言ううと良寛は、そこで初めて気がつき、帰って行ったという。前にも書いた五合庵の来客が来た時夕食をおいしいとろろご飯を食べさせるのに里に降りて行ってとろろ芋を貰いに行った時も芋を貰いに行った家でごちそうになり、すっかり客人の夕食の事を忘れた事があった。 良寛は夢中になったり、月が綺麗な日にはよく松の木の根元なので月を見ながら他の事を忘れる事が多かったそうである。

橋元雄二
2025年12月24日読了時間: 1分


『わしの食事はすませた。』
ある日、五合庵に客が会った。良寛は「夕飯はとろろのご馳走をしましょう」と言って庵を出て行った。しかし良寛は一向に帰って来ない。客が手持ち無沙汰に待つていると、やっと夜半になって帰って来た。そして満足そうな顔で、「あなたはまだおられましたか。わしはつくね芋をもらいに山をおりましたが、ちょうど夕飯に招く者がおりましたので、ご馳走になって来ました。」と言うだけでぬけぬけと客の夕飯のとろろ飯の事は何も触れなかった。 仕方なく、呼ばれた客は空腹のままで帰って行った。 どうも良寛は人との約束などすぐに忘れてしまう傾向があったようだ、昔の事で見聞きした記憶力には優れている良寛だったのだが度々このように忘れることが多々あったようだ。

橋元雄二
2025年12月22日読了時間: 1分


『人の不幸を救う良寛の人柄』
当時は冬に夫が出稼ぎに出て帰ってこない者も多くいたそうである。なので子連れの女 乞食も結構いたそうで、そこで良寛に乞食が物貰いに訪れて来る事も多かったと言う良寛も上げる物がないと決まって村の庄屋であった良寛の禅の修行者でもあった、牧ケ花の解良淑問に手紙を持たせた。「夫は出稼ぎに行って帰って来ません。残された妻は幼い子供を抱え困っているので助けてあげてほしい。」と依頼状を渡して庄屋さんに持って行くようにと伝え助けてあげたことがある。当時はもうそうなると乞食になるしかなかったのです。こういう人は「水飲み」と呼ばれ、農地がない小作人は農作物も作れない農民の実情です。良寛はこういう人々と同じ地平で生きていたのです。またこんな手紙もありました「ハイ今日は、雑煮の味噌を ひとかさ下され候。ハイサヨウナラ」 :良寛: あるいは、いんきんたむしが再発したので、「貝の絵の書かれたものを御恵投くだされたく候」:良寛: というものまであります。つまり昔は塗り薬などは二枚貝に入っていました。つまり塗り薬の事を言ってます。当時は村人同士で助け合うことが普通だったのでへりく

橋元雄二
2025年12月20日読了時間: 2分


『良寛の書が有名になるにつれて』
良寛の書をほしがるものがものすごく増えてあの手この手で良寛を引き留めて書をかかせようとする者が増えて良寛がその本音を書いた事がある三島郡の寺泊町の豪商、伊勢安の主人も良寛の書をどうしても欲しかった。ある日托鉢で通りかかった良寛を、無理やり家に家に招き入れた。「書くまでは帰さない」と立派な金屏風を出して来た。良寛は口に出して書きたくないと言えばいいのだが良寛はどこも脅迫めいた言葉でいつも脅されるようになって断わり切れない気の弱さもあったのだろう良寛は仕方なく筆を執り即座に「 いやじゃ いやじゃ いやじゃ いやじゃ と書き連ねて唖然とする家人を尻目にさっさと帰って行ったという。良寛の本音がそこにあったのではないだろうか?良寛は自分の気分がのらないと筆を持ちたくなかったので本当に思った事を素直に書いたんだと思う。

橋元雄二
2025年12月14日読了時間: 1分


『牡丹泥棒』
良寛は、漢詩や和歌にも優れていたが、特に草書に秀で、その筆の動きは、神業のようであった。しかし、揮毫を頼まれても軽々しくは承諾しなかった。ある里の富豪が庭に牡丹を植えていた。毎年、花の季節になると良寛も鑑賞に出掛けたが、必ず帰りには花を折って持ち帰った。富豪は、以前、良寛に書を頼み、良寛も承諾したのだが、未だに手に入れずにいた。そこで一計をめぐらした。使いの者を送り、「牡丹の花の見頃ですよ」と良寛を誘った。良寛は慌てて出かけて行き、例年と同じように数本の枝を折った。それを見ていた富豪はわざと良寛を怒り良寛を室に閉じ込めそして硯と筆をその中に置き、見張りの者に「書を書けば許すが、さもなければここから出してはならんぞ」と大声で言いつけた。 そこで良寛は、「論語」にいう、(道理にかなったことで人は裁かれることはあるが、道理のないことで裁かれる事はない)と言う意をこめた俗謡を書いた。これを見た富豪は、ただぼうぜんとするのみであった。良寛は手を叩いて喜び帰りに牡丹の花を抜いて持って帰っていったそうである。

橋元雄二
2025年12月11日読了時間: 1分
bottom of page


