top of page
![]() | ![]() | ![]() |
---|
検索
All Posts


『終戦記念日を迎えて』
私の父はゼロ戦を作っていた、当初のゼロ戦の性能は素晴らしかったんだとゼロ戦の話をするとその性能は素晴らしかったと父はこれでもかと言うほどゼロ戦の性能の事を話してくれた。父の実家は鹿児島の知覧に近い所に住んでいたこともあり、特攻隊のゼロ戦の整備を行い若い世代の人たちが志願し特...

橋元雄二
8月17日読了時間: 2分


『矢沢永吉氏と偶然に合う』
ずいぶん前の話である。ホテルで商談が終わり帰ろうとしてエレベーター待ちしている時である黒ずくめの人がぞろぞろとエレベーター前で待っていたので、それ系の人達なのかと内心ビクビクしていたエレベーターが待つている階に止まるとその後ろからエレベーターに乗る人物が入って行ったエレベタ...

橋元雄二
8月7日読了時間: 2分


新潟県小千谷の片貝大花火
片貝まつり(かたかいまつり)とは新潟県小千谷市片貝町で開催される秋祭り。 花火大会、なかでも正四尺玉の打ち上げで全国的に知られる。四尺玉の打ち上げ高度約800m、開花直径約800m、この四尺玉の直径約120cm(約4尺)、重量約420kg、打上用の煙火筒は高さ5.2m...

橋元雄二
8月5日読了時間: 1分


『佐渡薪能のご紹介』
世阿弥 室町幕府の3代将軍足利義満の寵愛を受け、能楽を大成させた世阿弥は、 6代将軍足利義教の怒りにふれ 、1434年に佐渡に流されました,どうも、理由は 世阿弥は結局、実子である元雅に観世大夫の地位を継がせたが、将軍・義持亡き跡を継いだ義教は、音阿弥の方を寵愛しており、絶...

橋元雄二
6月16日読了時間: 1分


『団扇とてあまり丸きは』
良寛の親類で、いとこ同士の夫婦がいた。親しすぎるために、互いに慎むという事がなく、波風の絶える時がなかった。それを聞いた良寛は、ある時,団扇の両側を切り落として扇の形に真似て、表に「うちわとてあまり丸きは見良からず扇の角を少し加えて」という狂歌を書いて与えた。※うちわは”団...

橋元雄二
6月3日読了時間: 1分
『小さい頃からスポーツなどで体を動かしている子供は「自分で思い描いた自己実現力が身につきやすい。』
小さい頃からスポーツなどで身体を動かしている子供は 自分で思い描いたことを実現する力」自己実現力が身につきやすいそうである 。『子供には、やりたがることを、やらせてあげるのがい一番』だとアドバイスしています。また、そばで見守り、家族で応援してあげることも大切なのだそう。自分...

橋元雄二
6月3日読了時間: 3分


『ラピュタ~城に似てると言われる 場所』
鉱山の歴史 鉱山は新潟県にある金属鉱山で、 江戸時代中期に採掘が始まったとされる 。当初は藩が運営していたが三井金属工業に 明治から大正にかけて銅や亜鉛を産出し、近代日本の産業を支えた。 明治期には米国に銅を輸出した記録も残る。...

橋元雄二
6月1日読了時間: 2分


『新潟県角田山登山『灯台コース』
角田山で最も眺めがよく最もきついとも言える灯台コース。 海抜0mからスタートすることに加え前半はアップダウンを繰り返すためなかなか高さを稼げない。途中岩場もあるがそれほど難しくはない。慣れた人は60分程度で登ることも可能だが、そうでない人は頂上まで休憩含め90分~120分ほ...

橋元雄二
5月29日読了時間: 3分


『良寛が香典帳に残した一句』
良寛も年を取りだんだん体も弱り杖を突くようになった。ある日良寛は、三島郡竹の森の星彦右衛門の家を訪ねた。夕食の後、彦右衛門は一緒に隣人の家の風呂をもらいに行った。そして風呂から帰ってくると、良寛は上り口に立てかけていた杖を取って、すぐに帰って行こうとした。それを見た彦右衛門...

橋元雄二
4月7日読了時間: 1分


「小倉百人一首に付いてのお話」
鶯(うぐいす)の泣き声は昔からもてはやされてきたのに、有名な小倉百人一首の歌人達は、百人の一人として誰も鶯の素晴らしさを歌にしていないと言う事は不思議なことだ「鶯」で季は春「万葉集」はじめ「古歌集」にはうぐいすがしばし歌われているが、どうした事か藤原定家の編んだ 「小倉百人...

橋元雄二
4月4日読了時間: 1分


『人の言葉で決心が揺らぐようでは大事な事は成し遂げられない』
他人のアドバイスを参考にするのはいいのです。しかし、人の言葉によって決心が揺らぐようでは、大事な事は成し遂げられません。明治時代から大正時代の作家有島武郎(ありしまたけお)は、「こうと決めたら、どこまでもそれを貫いていけばいい」ということを述べています。「信念の定まらないフ...

橋元雄二
4月4日読了時間: 1分


『お経を止められる』
ある時良寛は、日蓮宗を信仰している家に、一夜の宿を借りた。良寛が一宿の布施に応えるために仏壇の前で経を読んでいると、家の者が、良寛の袖を引いて「止めて下さい」と言ったという。良寛は当時は「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とひたすら題目を唱える日蓮信者には良寛の日蓮宗とである...

橋元雄二
4月2日読了時間: 1分


『茶会に招かれた良寛』
ある日のこと良寛は茶会に招かれた。数名の連客で一椀の茶を飲む濃茶の席であった。良寛は、自分の席に来た茶碗の中身の濃茶をグツと全部飲み干してしまった。しかし、隣の席には次の客が濃い茶が来るのを待つていた。困った良寛は、口の中にあった濃茶を茶碗の中に吐き出し、それを次席に渡した...

橋元雄二
3月26日読了時間: 1分


『無心になる」
良寛は、生涯に多くの和歌や漢詩を残しました。そこで良寛は言ってます。「私は気分が乗ってきた時に和歌や漢詩を書きます。それを世間の人は、いい出来だとほめてくれます。」それは、良寛は「歌人として名を上げたい」とか、「誰かに褒めてもらいたい」、あるいは...

橋元雄二
3月23日読了時間: 1分


『わしが書いたと言うな』
長崎村(現在の南魚沼地方)に長右衛門という者がいた。稲刈り時の夕暮れ托鉢から帰る良寛を呼び止め、団子雑炊を供養し,揮毫を頼んだ。良寛は,雑炊を食べ終わると、「今日は具合が悪いのでまた別の日に来て書こう」と言って帰って行った。ある日、長右衛門の夫人が台所で夕食の仕度をしている...

橋元雄二
3月20日読了時間: 1分


『明日の約束はしない』
良寛は、人のために看病し、食事や生活に心を尽くしておられた。また、按摩やお灸もされた。しかし、人から「和尚さん、明日お灸をしてください」と頼まれても、良寛は「明日は明日のこと」と言って承知されなかった。良寛が明日の約束をされなかったのは、軽々しい承諾は「人の明日の生き死には...

橋元雄二
3月9日読了時間: 1分


『渟足柵の謎』
7世紀ごろまで、大和朝廷の支配が及ばない日本の北方に暮らす人々を蝦夷(えみし)と呼んでいました。渟足柵(ぬたりのき)はこうした蝦夷(えみし)の大和朝廷への攻撃に備えた防衛施設であるとともに、都から遠く離れた地方を治める行政施設であったと考えられています。このことは日本書紀に...

橋元雄二
2月25日読了時間: 2分


良寛の布施
良寛は托鉢するとき、一軒の家を通り過ぎてしまうと、その家の者が何か布施をしようと思っても、引き返さなかった。そこで村の人は予め時間を計っておいて、道にいる和尚を自分の家に連れてきて布施をした。そうすれば、喜んで布施を受けた。しかし、良寛は道で貧しい者を見ると、鉢の中の布施は...

橋元雄二
2月17日読了時間: 1分


『虎に願って猫にもなれず』
修行を始めた頃は、虎になろうと意気込んでいましたが、猫にすらなれませんでした。私は結局、子どもの栄蔵のままなのです。 冒頭の言葉は十八歳で名主の実家を出て諸国を放浪し、二十二歳で岡山、円通寺の国仙和尚を師匠にして、禅の修行を始めたと言われています。冒頭の言葉は、良寛が修行を...

橋元雄二
2月14日読了時間: 2分


『9月の鳥海山 登山』
鳥海山は日本百名山でもあり日本海に近く雄大で綺麗な山です。鳥海山(ちょうかいさんは、 山形県 と 秋田県 に跨がる 標高 2,236 mの一応 活火山 。山頂は山形県側にあるが、秋田県側と言い張る方もいるそうであるが、標高2,236m東北2番目の高さを誇る山で、別名、出羽富...

橋元雄二
2024年11月12日読了時間: 8分
bottom of page