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『世阿弥の言葉』
世阿弥は 室町幕府の3代将軍足利義満の寵愛を受け、能楽を大成させた世阿弥は、 6代将軍足利義教の怒りにふれ 、1434年に佐渡に流されました。 『 稽古は強かれ 、 情識はなかれ 』 一生涯稽古 という言葉は 有名ですね ...

橋元雄二
2 日前読了時間: 1分
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『良寛の父(以南)の死』
良寛の父以南は1795年良寛が38歳の時に京都の桂川で投身自殺をした。その時以南は一つの包みを知人に託し、「私が死んだ後、良寛という僧が四国から尋ねてくるはずなので、これを渡して貰いたいと言遺し、桂川に身を投げた。その後京都を訪れた良寛は、その包みを手には辞世の句が書かれて...

橋元雄二
5 日前読了時間: 1分
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『良寛が香典帳に残した一句』
良寛も年を取りだんだん体も弱り杖を突くようになった。ある日良寛は、三島郡竹の森の星彦右衛門の家を訪ねた。夕食の後、彦右衛門は一緒に隣人の家の風呂をもらいに行った。そして風呂から帰ってくると、良寛は上り口に立てかけていた杖を取って、すぐに帰って行こうとした。それを見た彦右衛門...

橋元雄二
4月7日読了時間: 1分
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『五頭山』
新潟県阿賀野市にある五頭山(ごずさん)は 峰が五つあることから五頭山と名づけられた。 809年 に 弘法大師(空海) によって開山されたと伝えられている。五頭山の登山口の出湯口の登山道から登るとトトロが二人いると話題になっている。...

橋元雄二
4月6日読了時間: 1分
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『山形県の月山スキー場オープン』
山形県月山スキー場が2025年4月11日からオープンだそうです。このスキー場は豪雪地帯のため 通常で3m~5mですが今年のように積雪が多い時には10m~20m以上の積雪になり、4月のオープン日から初夏の期間まで充分滑れます。初級コース・中級コースとありますので、ぜひ海外の方...

橋元雄二
4月5日読了時間: 1分
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「小倉百人一首に付いてのお話」
鶯(うぐいす)の泣き声は昔からもてはやされてきたのに、有名な小倉百人一首の歌人達は、百人の一人として誰も鶯の素晴らしさを歌にしていないと言う事は不思議なことだ「鶯」で季は春「万葉集」はじめ「古歌集」にはうぐいすがしばし歌われているが、どうした事か藤原定家の編んだ 「小倉百人...

橋元雄二
4月4日読了時間: 1分
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『お経を止められる』
ある時良寛は、日蓮宗を信仰している家に、一夜の宿を借りた。良寛が一宿の布施に応えるために仏壇の前で経を読んでいると、家の者が、良寛の袖を引いて「止めて下さい」と言ったという。良寛は当時は「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とひたすら題目を唱える日蓮信者には良寛の日蓮宗とである...

橋元雄二
4月2日読了時間: 1分
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『良寛の出家の謎』
良寛が出雲崎の名主の橘屋の名主見習いの時に「出家したと言われており」」 その出家の理由には色々な説がある。 ★盂蘭盆の17日に楽しく踊っていたが翌18日に姿を消し出家。 ★新婚生活半年にて出家。 ★盗賊の死刑の現場を見て出家。 ★代官と漁師との間のいざこざを纏められず出家。...

橋元雄二
3月29日読了時間: 1分
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『茶会に招かれた良寛』
ある日のこと茶会に招かれた。数名の連客で一椀の茶を飲む濃茶の席であった。良寛は、自分の席に来た茶碗の中身をグツと飲み干してしまった。しかし、隣の席には次の客が控えて いた。困った良寛は、口の中にあった濃茶を茶碗の中に吐き出し、それを次席に渡した。...

橋元雄二
3月26日読了時間: 1分
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『客の夕食を忘れた良寛』
ある日,五合庵に客が尋ねて来た。良寛は、「夕食にとろろのご馳走をしましょう」と言っ て五合庵を出て行った。しかし、良寛は一向に戻って来ない。客が手持ち無沙汰に待つ ていると、やっと夜半に帰って来た。そして良寛は満足そうな顔でお客にこう言った...

橋元雄二
3月25日読了時間: 1分
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『無心になる」
良寛は、生涯に多くの和歌や漢詩を残しました。そこで良寛は言ってます。「私は気分が乗ってきた時に和歌や漢詩を書きます。それを世間の人は、いい出来だとほめてくれます。」それは、良寛は「歌人として名を上げたい」とか、「誰かに褒めてもらいたい」、あるいは...

橋元雄二
3月23日読了時間: 1分
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『わしが書いたと言うな』
長崎村(現在の南魚沼地方)に長右衛門という者がいた。稲刈り時の夕暮れ托鉢から帰る良寛を呼び止め、団子雑炊を供養し,揮毫を頼んだ。良寛は,雑炊を食べ終わると、「今日は具合が悪いのでまた別の日に来て書こう」と言って帰って行った。ある日、長右衛門の夫人が台所で夕食の仕度をしている...

橋元雄二
3月20日読了時間: 1分
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『明日の約束はしない』
良寛は、人のために看病し、食事や生活に心を尽くしておられた。また、按摩やお灸もされた。しかし、人から「和尚さん、明日お灸をしてください」と頼まれても、良寛は「明日は明日のこと」と言って承知されなかった。良寛が明日の約束をされなかったのは、軽々しい承諾は「人の明日の生き死には...

橋元雄二
3月9日読了時間: 1分
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『渟足柵の謎』
7世紀ごろまで、大和朝廷の支配が及ばない日本の北方に暮らす人々を蝦夷(えみし)と呼んでいました。渟足柵(ぬたりのき)はこうした蝦夷(えみし)の大和朝廷への攻撃に備えた防衛施設であるとともに、都から遠く離れた地方を治める行政施設であったと考えられています。このことは日本書紀に...

橋元雄二
2月25日読了時間: 2分
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良寛の布施
良寛は托鉢するとき、一軒の家を通り過ぎてしまうと、その家の者が何か布施をしようと思っても、引き返さなかった。そこで村の人は予め時間を計っておいて、道にいる和尚を自分の家に連れてきて布施をした。そうすれば、喜んで布施を受けた。しかし、良寛は道で貧しい者を見ると、鉢の中の布施は...

橋元雄二
2月17日読了時間: 1分
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『虎に願って猫にもなれず』
修行を始めた頃は、虎になろうと意気込んでいましたが、猫にすらなれませんでした。私は結局、子どもの栄蔵のままなのです。 冒頭の言葉は十八歳で名主の実家を出て諸国を放浪し、二十二歳で岡山、円通寺の国仙和尚を師匠にして、禅の修行を始めたと言われています。冒頭の言葉は、良寛が修行を...

橋元雄二
2月14日読了時間: 2分
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『6月初旬の飯豊連峰単独縦走』
この登山記録のWIXCOMのブログは世界で 190カ国 、 2億3800万人 の 方が利用されております。 (2022年9月時点) 日本の東北・北信越の登山記録を日本・外国の約3千人以上の方々に読んで頂きましてありがたい事です。多くのコメントなどが多言語で届くので...

橋元雄二
2024年11月11日読了時間: 43分
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『9月の鳥海山 登山』
鳥海山は日本海に近く雄大で綺麗な山です。鳥海山(ちょうかいさんは、 山形県 と 秋田県 に跨がる 標高 2,236 mの一応 活火山 。山頂は山形県側にあるが、秋田県側と言い張る方もいるそうであるが、標高2,236m東北2番目の高さを誇る山で、別名、出羽富士とも呼ばれ197...

橋元雄二
2024年11月10日読了時間: 8分
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「天神様の神号」
島崎の木村家に長造という半農の床屋が出入りしていた。長造は、良寛の書いた天神様(「学問の神様」として知られる菅原道真公のこと)の掛け軸が欲しくて、良寛に会うたびに天神様の書を書いてくれと何度も頼んだ。ある日、長造は良寛の頭を剃っていたが、わざと半分剃り残して、「天神様のお軸...

橋元雄二
2024年4月3日読了時間: 1分
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『子供は親のレールに乗せてはいけない』
私の兄弟達はまだ子供が小さい頃は近くの公園で自由に伸び伸びと体を使って遊ばせる主義で、家でゲームで遊ぶより外の野原でバッタや虫などを取って遊び回っていた。その子供達も小学生になり低学年の頃に子供たちの好きなスポーツを選ばせてスイミングスクールや、少年野球のポニーリーグやリト...

橋元雄二
2023年12月11日読了時間: 3分
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