top of page
検索
執筆者の写真橋元雄二

『アメージンググレース』

更新日:6月16日




   


アメリカで第二の国歌と言われるほど最も愛唱されている。 美しい響き、心が癒されるメロディーである。

作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)。作曲者は不詳。アイルランドスコットランド民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。

ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。

当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症脱水症状栄養失調などの原因で死亡したといわれる。

ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。

ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。

1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。

アメリカに送られた奴隷は400万人と言われ、奴隷は人間と見ておらず、大きな大農園(プランター)でたばこ・綿花砂糖などを作ってイギリスなどに輸出されていた。アメリカの発展の立役者は白人でなく奴隷達の朝から太陽が沈むまでまで働かされていた奴隷の人達はジャズ発祥の地は、アメリカ南部の港町ルイジアナ州・ニューオーリンズ。南部の黒人奴隷たちは南北戦争を経て、1863年に自由を手に入れました。しかし自由になったのはいいのですが、食べていくためには自分で稼がなければなりません。

当時南部にあったニューオーリンズは、アメリカ政府公認の娼館がある唯一の歓楽都市でした。奴隷解放によって仕事を求めた黒人たちは、ダンスホールや酒場などのBGMとして歌ったり、楽器演奏をして生活することにしました。これが「ジャズ」の始まりです。

無職なのに、高価な楽器はどこで調達したのか?その理由は簡単です。南北戦争後ということもあり、南軍の軍楽隊のものがニューオーリンズにあふれ、二束三文で売られていたから。ジャズの楽器が、ピアノやドラム、トランペットやサックスなのも、元はと言えば軍隊のマーチングなどに使われていた楽器を流用していたからです。ジャズ発祥の地は、アメリカ南部の港町ルイジアナ州・ニューオーリンズ。南部の黒人奴隷たちは南北戦争を経て、1863年に自由を手に入れました。しかし自由になったのはいいのですが、食べていくためには自分で稼がなければなりません。

当時のニューオーリンズは、アメリカ政府公認の娼館がある唯一の歓楽都市でした。奴隷解放によって仕事を求めた黒人たちは、ダンスホールや酒場などのBGMとして歌ったり、楽器演奏をして生活することにしました。これが「ジャズ」の始まりです。なのでニューオリンズはジャズ発祥の地になりました。無職なのに、高価な楽器はどこで調達したのか?その理由は簡単です。南北戦争後ということもあり、南軍の軍楽隊のものがニューオーリンズにあふれ、二束三文で売られていたから。ジャズの楽器が、ピアノやドラム、トランペットやサックスなのも、元はと言えば軍隊のマーチングなどに使われていた楽器を流用していたからです。1863年の奴隷制度の廃止で自由になったが白人の黒人への偏見は今でも残っている。ボブデイランやアニマルズの「朝日の当たる家も」このニューオリンズの娼婦の館の女性の「後悔の念」を歌ったもので後に刑務所に入れられた男の話に変わったようです。

閲覧数:8回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Komentarze


bottom of page