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『良寛の兄弟について』

  • 執筆者の写真: 橋元雄二
    橋元雄二
  • 12月8日
  • 読了時間: 2分

    

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良寛の兄弟は7人いたのですが良寛は長男で実家の名主の家督を弟の由之に譲り、良寛は、出家してしまいました。残された良寛の父(以南)は婿養子で仕事もせず俳句ばかり詠んで仕事にも名主の立場に胡坐をかいていたので橘屋も傾き始め、良寛の弟の由之は非常に自信家でそれが災いして地元の人望もなくトラブルを起こしてばかりで代官所から、家財道具も取られ、名主の座も剥奪され所払いで名主の橘屋はここで潰れてしまいました、由之は後年は見附に身を隠した生活をしてたようです.三男の香は、字を澹斎(たんさい)と号し、非常に博学多才でした。京都へ上り、禁中学師の菅原長親卿の学館で学び、最終的には学頭を務めるほどでした。宮中での詩会にもたびたび出席していたそうで、相当優秀な方でした、残念ながら、香(かおる)は壮年で亡くなっています。寛政10年(1798年)、良寛さんが41歳の時、3月27日に32歳という若さでこの世を去りました。円明院の過去帳には病死と記されていますが、別の記録では良寛の父以南と同じく桂川に身を投じ自死したとも言われています。良寛さんには他にも、末弟の宥澄(ゆうちょう)さんがいましたが、彼も三男の香(かおるのわずか2年後に31歳で亡くなっており、良寛さんの悲しみは計り知れないものがあったでしょうね。波乱万丈の良寛の家族であったことがわかります。良寛の兄弟は優秀な人が多かったのは間違いのないでしょう。良寛の母(秀子)は兄弟の死や橘屋のお取りつぶしを草葉の陰から悲しんでいたことでしょう。


 
 
 

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