『良寛の父(以南)の死』
- 橋元雄二
- 4月21日
- 読了時間: 1分

良寛の父以南は1795年良寛が38歳の時に京都の桂川で投身自殺をした。その時以南は一つの包みを知人に託し、「私が死んだ後、良寛という僧が四国から尋ねてくるはずなので、これを渡して貰いたいと言遺し、桂川に身を投げた。その後京都を訪れた良寛は、その包みを手には辞世の句が書かれていたそうであるその前句の余白に良寛は「みずきくのあともなみだにかすみけりありしむかしのことを思いて」と細字で記し,追善のために高野山に登り、また伊勢神宮に詣でた。そして、生涯。以南から預かったその記念品は離さなかったそうです
以南は橘屋の婿養子となったが仕事より俳諧に夢中になり時々京都へ遊歴していた当然仕事ヲおろそかにし名主の店は傾いて良寛の弟に家督を譲ったが義之は自信家で上から目線で人を見下す傾向があり商売には向かないタイプの人間でした。当然、店は傾き代官所から名主の店はお取りつぶしとなり、出雲崎を離れ見附で没落生活を送る。
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