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執筆者の写真橋元雄二

『野芹の味噌汁』


与板町に住む良寛の友人に活眼和尚という人がいた。その活眼和尚がある日、良寛の元を訪れた。良寛は「なにか摘んで来て、昼の汁ものでも作ろうと」小さな籠を持つて火葬場で野芹を摘みめた.野芹を籠一杯に摘んで帰って来た良寛がそれを具にした味噌汁を作り活眼和尚に勧めた。活眼和尚は、その味噌汁を見てためらったが、目上の人に礼儀を欠いては失礼だと思い,かろうじて一椀だけ食べた。しかし、活眼和尚の表情を見た良寛は一椀だけでは許さず、二椀目をよそいながら、おもむろに問うた。「肥を施した、野菜は旨いと言って食べるくせに、火葬場の近くの野芹は不潔だと嫌うのは、どうしたことだ」活眼和尚はこの教えを聞き、その場でハタと悟り、快く数椀を傾けたという。このような因縁によって、良寛は、活眼和尚に自分の葬式の時には導師をしてくれるように遺言されたそうである。


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