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執筆者の写真橋元雄二

                       『開聞岳登山』

更新日:12月6日




特攻隊員は出撃の時、祖国との別れの目印として 開聞岳(標高924m)を目で追いながら沖縄へ向かいました。恐らく山の形が富士山に似ているので最後に日本国のためにという思いで 特攻機で通り過ぎた後も何度も振り返り 開聞岳が見えなくなるまではこの世に未練が残る気がしたのだろう見えなくなると気持ちを切り替えて沖縄へ向かう覚悟が出来た山だったと聞いた。

開聞岳頂上からの景色です。

父は鹿児島出身でゼロ戦の整備助手で特攻隊の出撃にも立ち会った事があったそうである。その際特攻隊のゼロ戦が  開聞岳の横を飛ぶと翼を振りながら去って行ったそうだ。その開聞岳に学生時に一度登ったことがある。指宿に父の親戚のばあちゃんがいたので泊まらせてもらい頂上まで約3時間ほどで登れる山なのでぜひ登ってみてほしい道迷いする登山道はないのであえて登山コースは書かない、低山ではあるが結構と急な山です。頂上からの景色がとてもすばらしい山です。特攻隊員がどんな気持ちで帰りの燃料もないまま開聞岳を横切り沖縄方面に向かったがほとんどが突撃する前にアメリカの艦隊からの艦砲射撃によりほとんどのゼロ戦闘機は撃墜され、海に散っていった若者の事を考えながら今が平和である有難さを感じる。そんな事を思いながら下山後にばあちゃんが沸かしてくれた五右衛門風呂で汗を流させてもらう。そのばあちゃんも亡くなってしまったがとてもやさしいばあちゃんだった。きっと特攻隊員達の母もばあちゃんみたいな優しい母であったろうと思うと感慨深いものがある。出撃の前に特攻隊員も私のように風呂で身を綺麗にして,御馳走がテーブルに並んだろうが明日に、出撃とわかって御馳走を出されて喉を通るわけがないだろう、酒の力を借り特攻用のゼロ戦に搭乗したんだろうなと考えお湯につかった。戦争に翻弄され祖国の母、兄弟を守りたい一心で海に散って行った若き特攻隊員に合掌 私の父も90歳半ばになり「戦争ほど惨めなものはない。」という父の言葉を次の世代の子供達にこの戦争の愚かさを機会があれば孫達にもこの話をしたいと思う。ゼロ戦を設計した堀越二郎は終戦前にゼロ戦が特攻用の戦闘機に使われたことをどう思っただろう。ジブリの「風立ちぬ」の主人公のモデルが堀越二郎である。彼の求めていた飛行機は戦闘機でない飛行機を作りたかったのかも知れない。

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