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執筆者の写真橋元雄二

『9月の鳥海山 登山』




鳥海山は日本海に近くて雄大で綺麗な山です。鳥海山(ちょうかいさんは、山形県秋田県に跨がる標高2,236 mの一応活火山。山頂は山形県側にあるが、秋田県側と言い張る方もいるそうであるが、標高2,236m東北2番目の高さを誇る山で、別名、出羽富士とも呼ばれ1974 年に小規模の水蒸気爆発が起きた事がある。今は静かですが一応活火山です。以前に御岳山の突然の噴火の事もありますので、事前に気象庁などの火山性微動が発生してないか?確認しておきましょう。私は前日に象潟駅近くの民宿に泊まり、昼食用のおにぎりを作ってもらい翌日の朝に駅から出るバスで鳥海ブルーラインの五合目たりの大平登山口に登山届出書に記入して提出してから登山を開始しましょう。季節は9月だっと思います。鳥海山は一年で天気が安定するのが事前に調べて6月、9月頃が一番安定している。と聞いていたので私は9月に登る計画を立てたまし鳥海山を登るコースは登山地図を買って事前に確認してください。4合目であれば残りの高さは約1,000m程登ればよかつたので飯豊連峰の急こう配の登りに比べれば、登山道も整備されており、とても楽でした。大平登山口前には路肩部分に駐車帯があり車で行っても車を駐車できます。登山口右手に登山届け提出用BOXがありますので必ず提出して登山開始してください。階段で始まり、いきなりのの急坂で戸惑うかも知れませんが、ここは鳥海山屈指の急坂、ゆっくり自分のリズムで無理せずに歩いて。ここは、森林限界帯にあたり、しばらくは森の中を歩きます。岩陰からの湧き水のある二ノ宿で呼吸を整えて、見晴台を目指します。見晴台まで約50分ほどです。見晴台で眼下の広がる景色を眺めながら休息をとりました。森林限界を抜けると、傾斜がゆるやかな、雪田植物帯の山道となり7月頃は~9月初旬には鳥海山の固有種である、鳥海フスマや鳥海アザミの花が見れます。



     

   (鳥海アザミの花)





(チョウカイフスマの花)


鳥海山の清水の湿原に出て一息入れ、また山道を登り始めると河原宿に到着、見晴らし台からここまで1時間10分ほどです。ここから雪渓を横断して,愛宕坂手前の分岐から右に折れて長坂道を目指します。長坂道T字分岐は最良の展望所、しばらく景色を見る。ここから稜線の道を御浜に向かい、まもなく鳥海湖への分岐に出ます。鳥海湖は火山の噴火跡に残雪などが溶けて出来たものです。鳥海湖への道が整備されており、木道になっているため、間違って木道に入って行かないように。ここは稜線を忠実にたどります。まもなく眼下に鳥海湖が見えるビューポイントになります。御浜小屋に着いたらひと休み。ここでも宿泊食事が出来るようです、小屋を過ぎると岩場となり、足場の不安定な場所になります。ここを登りきると扇子森の頂上部、御田ケ原に出ます。ここから下り道徒なり鞍部の御田ケ原分岐を過ぎて,八丁坂の登りに掛かります。御苗代の湿地を過ぎると、まもなく七五三掛けに着きます。ここでまたひと休みこの周辺には、季節によってツルこけももの実や、野生のブルーベリーが実をつけていますので休憩しながら甘い実を食べられます。私は舌がブルーベリーで口の中が真っ青になるほど食べました。とても甘くておいしかったですよ、ツルこけももの実はまだ熟していませんでした。この先の分岐を左に向かい外輪内壁に入って行きます。ハシゴがあるので慎重に進みましょう。トラバース道を進むと、目の前に千蛇谷雪渓が広がり新山が大きく見えてきます。雪渓は落石の危険がありますので頭上注意です。雪渓をすみやかに横断して、対岸の山道にに入ります。二つ目の雪渓をロープを目印に、横断しながら登ります道が大きな岩の塊を行くようになってきたら御室は間もなくです。新山(昭和49年に水蒸気爆発で溶岩ドームが冷え固まりひびが入り崩れて出来たもの)新山は神社横の御室小屋の宿泊施設があり(定員200名)その横の岩場をのぼりますが雨などの時は足場が滑りますので慎重に登ってください。

晴れていれば頂上からは日本海や象潟周辺の九十九島が一望できます。ここは松尾芭蕉が1689年7月に訪れたところでも有名な場所です。当時は九十九島はまだ出来ておらず、鳥海山の崩壊により岩屑なだれが流入した象潟は、その後、土砂が河口付近に堆積してできた砂州(さす)によって日本海と隔てられ、東西約1㎞、南北約2㎞の浅い汽水域が広がる潟湖(せきこ)となりました。船を浮かべ魚やシジミを取りをして料理を船上で味わったり舟遊びなどをしていたそうです.松尾芭蕉が詠んだ句は「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」[] ここでの鶴は実は、着物の丈が短くて、脛を長く外に出していることのたとえ。若い娘が着物の丈を短くまくりあげ浅瀬に立つて素足で涼んでいる様子を、娘の足を鶴の足にたとえて詠んだとも言われている。鳥海山の崩壊溶岩の岩塊でできた流れ山が、潟湖に流れ込み浮かぶ島のように点在する地形が出現したのです。やがて、流れ山は松などの木々に覆われ、松島と並び称される名勝として知られるようになります。芭蕉は潟湖の汽水域の時代にここを訪れてから5年後に亡くなっていますので、没後、115年後に起きた象潟大地震により汽水域の入江地帯が約2m以上隆起し、九十九島が出来たので松尾芭蕉はこの九十九島の景色を見ることはありませんでした。2024年の正月に起きた能登半島地震では地面が3~4m隆起したそうです。象潟地震の際は約海岸線60kmにわたり酒田市まで3~4mの津波が押し寄せ甚大な被害をもたらしたそうです。当時は海岸も整備されてなければそうなりますね。太平洋側の三陸の松島を東の松島と呼び日本海側の九十九島を西の松島と呼ばれるようになりました。早朝条件がよく運が良ければ鳥海山の山影が日本海に映る「影鳥海」も見れるかも知れません。



      


見ずらいかも知れませんが写真の薄っすら日本海の雲に映る影が[影鳥海」です,影鳥海を見られた方は幸運だそうですよ、気象条件が揃わないと見る事が出来ないそうです。この鳥海山は私が登った山の中でも、とても印象に残った山です。小学校高学年以上の方なら登れる登山道です。ぜひトライなさってください。

頂上の御室に宿泊も出来ますが私は宿泊せずに山を降り、夜の特急電車で新潟へ帰ることができましたができればブルーライン四合目にある大平山荘に一泊して、影鳥海を、鳥海山四合目当たりからも見られますのでぜひ。天気が良ければ下の写真の九十九島も見ることも出来るかも知れません。松島を東の松島と呼び、この日本海側にある象潟の九十九島を西の松島と称されるようになりました。松尾芭蕉が生きておりこの九十九島を訪れて見られていれば又違う俳句を詠んで残していたことでしょうね。

象潟の九十九島は、2021年の春のJR東日本の吉永小百合さんの出演のCMで、この象潟の九十九島がテレビで放映れていましたね。ご覧になられた方も多いと思います。この鳥海山で気を付けなければならないのは海に近いため水蒸気による霧などでかかり視界が悪くなりやすいので充分注意して足元をしっかり確認して滑落事故のないように充分注意して登ってください。

私はこの鳥海山登山後に体を壊してしまい最後の山登りとなってしまいました、本当は最後の山に北海道の利尻島の利尻富士に登りたかったのですが夢を叶える事は叶いませんでした。

※ 登山記録はあくまで参考です。登山地図をお買い求めになって天候などご自分で確認なさつて自己責任で楽しい登山をなさってください。

 


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