『ラピュタ城に似てると話題の持倉鉱山跡』
- 橋元雄二
- 3 日前
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更新日:10 時間前

持倉鉱山の歴史
持倉鉱山は阿賀町の五十島地区にある金属鉱山で、江戸時代中期に採掘が始まったとされる。当初は会津藩が運営していたが三井金属工業に 明治から大正にかけて銅や亜鉛を産出し、近代日本の産業を支えた。 明治期には米国に銅を輸出した記録も残る。 最盛期は大正時代で、最大の産銅量を記録した大正6年(1917年)には約700人が働いていました。最終的に三井金属工業が蛍石を採掘していた。明治末期から大正時代に最盛期を迎えるが、昭和38年には閉山を迎える。 持倉鉱山は 新潟県阿賀町五十島地区にあった鉱山で金・銀・銅・鉛・亜鉛などを産していました。建造物には鉱滓(スラグ)を利用して作られたカラミ煉瓦が使われており、通常のレンガと違いとても重くて硬いために丈夫で現代になっても作られた当時と同じように原型を留めております。ただ、さすがに屋根材などは朽ち落ちてしまいました。私も前職の際にモデル撮影会の場所として利用させていただきました。ただ季節によって山ヒルが出ますので素肌は出さないようにして血を吸われないように、まむしなどの毒蛇も見かけることがあるので足元には充分気を付けてください。今も残る事務所跡はさすがに木造の屋根はすでに朽ち落ちていますが逆にその光景が「ラピュタの城」に似ていると言われ,どこか、ラピュタ城を守るロボット兵が出て来そうな雰囲気のある建物で、話題の場所となりました。天空の城ラピュタでは飛行石が出てきますがここでは蛍石を掘っておりました。笑
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