『ラピュタ~城に似てると言われる 場所』
- 橋元雄二
- 6月1日
- 読了時間: 2分
更新日:7月12日

鉱山の歴史
鉱山は新潟県にある金属鉱山で、江戸時代中期に採掘が始まったとされる。当初は藩が運営していたが三井金属工業に 明治から大正にかけて銅や亜鉛を産出し、近代日本の産業を支えた。 明治期には米国に銅を輸出した記録も残る。 最盛期は大正時代で、最大の産銅量を記録した大正6年(1917年)には約700人が働いていました。最終的に三井金属工業が採掘していた。明治末期から大正時代に最盛期を迎えるが、昭和38年には閉山を迎える。 鉱山は 新潟県内にあった鉱山で金・銀・銅・鉛・亜鉛などを産していました。建造物には鉱滓(スラグ)を利用して作られたカラミ煉瓦が使われており、通常のレンガと違いとても重くて硬いために丈夫で現代になっても作られた当時のままと同じように原型を留めております。ただ、さすがに木材で作られた屋根材などはすでに朽ち落ちてしまいました。私も前職の仕事の関係でモデル撮影会の場所として利用させていただきました。この鉱山跡地は季節によって山ヒルがいます、素肌を出さないようにしてください、血を吸われてしまいます。まむしなどの毒蛇も事前の確認の意味で現場に確認しに行った時にいたので足元には充分気を付けてください。今も残る事務所跡はさすがに木造の屋根はすでに朽ち落ちていましたが逆にその光景が「ラピュタの城」に似ているなと?どこからか「君をのせて」の曲が聞こえてきそうでラピュタ城を守るロボット兵が突然、出て来そうな雰囲気のある建物でした。天空の城ラピュタ~ではアニメにペンダントの飛行石を持つ「シータ」という女の子が出てきますがここでは飛行石ではなかったです。笑 この石は古くから銅などの金属精錬用の溶剤として欠かせない材料でした。
※場所はあえて詳しくは書きません書いてしまうと場所を特定されてしまい荒らされたり 落書きする輩がいるのでご理解ください。この鉱山跡は明治.大正時代の日本の産業遺産です。現状維持のまま後世に残しておくべきものなので大事にしていきましょう。
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