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鉢の子の歌

  • 執筆者の写真: 橋元雄二
    橋元雄二
  • 2020年1月4日
  • 読了時間: 1分

更新日:2020年1月6日






良寛は人からご馳走されて、書を頼まれても、なかなか書く人ではなかった。しかし、興が乗れば縦横無尽に揮毫した。ある時、七日市の豪農山田家を訪ね,どうした機嫌か、すぐに筆と墨を借り、女中部屋の煤けた障子に「鉢の子の歌」一首を書いた。そして、その滴るばかりの墨痕を眺め,会心の笑みをもらして、またふらりと帰って行った。(鉢の子とは僧が托鉢の際に手に持つ鉄鉢の事である)鉢の子をわれ忘れるれど人取らず 取る人はなし あわれ鉢の子意訳にすると良寛が托鉢に行った帰りの事、良く路傍の大木の下などに座り込んで、ある時は歌が浮かんでくると砂上に字を書いたり,千字文を書き、時のたつのも忘れているようなことがたびたびあったということである。托鉢の鉢をそこに置いて忘れて帰る事も多かったそうです。その時のずーつと放って置かれた鉢の気持を詠んだ歌である。しかし忘れてきた鉢は良寛の元へほとんど戻ってきたそうである。 なお良寛の愛用していた鉢の子の一つが分水町の森山家に保存されている。外側に山岸との刻印があり、元の所有者のの人かも知れない、たぶん貰い受けたのだろう。                   

 
 
 

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