「6月を綺麗な風の吹くことよ」
- 橋元雄二
- 2021年5月31日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年6月14日

これは正岡子規が明治二十八年日清戦争の従軍記者として(この時に森鷗外と出会う)金州城[今の大連)に渡り。日清戦争の従軍記者としてこの地を訪れた子規が、軍の陣屋を訪問し酒を振る舞ってもらった、そのことを詠んだわけですが、軍の陣屋でよんだ句が「 行く春の 酒をたまはる 陣屋かな」この句は、ただ日清戦争の従軍記者としてこの地を訪れた子規が、軍の陣屋を訪問し酒を振る舞ってもらった、そのことを詠んだわけですが、「行く春→散っていく桜」を連想しながら異国の地で命を賭けて戦う軍人達と酒を酌み交わした時の句で、戦争はすでに終わっており清国から帰国途中の五月十七日、船中で喀血し危篤状態となり国立神戸病院に入院。七月二十三日に須磨保養院にうつりしばらく保養。その時期の作である。実は季節は7月なのだが梅雨のジメジメした時は外に見える草木の緑も濃緑になっているその6月に吹く水々しい風はなんとも綺麗であると表現した方が句にしっくり馴染むと思いあえて7月よりも6月の季節を用いたようです。「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」とよんだ句も実際はその日奈良は雨で正岡子規本人は法隆寺には行っていないとも言われて柿は食べていないとも言われておりフィツクションでイメージした句であると言われています。でもその句だけでイメージ出来る風情を句に読みこませる才能は正岡子規らしい。また、子規は極力、句をシンプルにまとめ上げる俳人としては特化していた人だった。
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