野に咲く花は、何か下心があって空を飛ぶ蝶々を招いているわけではない。ただ無心に、精一杯咲いている。また蝶々も、花に気に入られたいという下心から花を訪ねているので
はない。ただ花の美しさに誘われて、無心に集まっている」というが禅語がある。
花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を訪ねる。女性も、男性もそういう関係がいいと言っています。良寛は、「男性と女性のつきあい方も、そのようなものではないだろうか」と述べています。男性でも女性でも気に入られるようにお世辞やおべっかを使うこともなく、お互いありのまま自然な姿でいながら、お互いに求め合うような関係がいい」と良寛は言っています。「そうすればお互いに心安らぐ、良い関係になれる。」と良寛は言いたかったのでしょう。下心を持っている相手は警戒しなければなりません。お世辞を言う相手にはどう対処すればいいか困ってしまい、逆に疲れてしまいます。自分を良く見せようとして、背伸びしたりするのも疲れてしまいます。そういう関係は決して心安らぐものではないでしょう。お互いに下心を持たない事が一番大事であり、男性も女性も相手の容姿や所得や、地位に惑わされてお付き合いする人も多くいます、この人と付き合っていれば利益がありそうだなと下心を持って接していてもうまく行くはずがありません、いつも自然体でいられ、心安らぐ関係の方が良いでしょう。相手のの出方によって自分の信念がブレるようでは関係は長く続きしませんし、決してうまくいきません。恋人同士なら自然体でいられる関係が良いでしょうと言っています。恋愛でも結婚でも失敗しないためにも流されてはいけません。いつも自然体で接する関係が一番いいのです。という考え方を覆すような事件が最近
ニュースなどで職場の同僚女性に好意を寄せていた同僚の男性がペットボトルの中にとりかぶとを混入し「女性の具合が悪くなつた時に介護し親しくなりたかった。」と言う犯人のゆがんだ考えを持つ考え方、市議会議員の立場の優位性を盾に取り女性に対して不同意の性行為をしたとんでもない男も世の中にいる。私も男性ではあるがその前に理性が働かなかったのだろうか?女性に対しての敬意が完全にねじ曲がっている気がする。面と向かって好意を女性に「僕と付き合ってください。」と言葉で表現することが出来なかったのだろうか?それで断られたらそれで仕方がないと諦めるのが普通の大人であろう。体は大人でも考えがあまりにも安易で幼稚すぎる大人が増えてきているのが心配である。以前に書いたブログで『ならぬものはならぬのです』決してやってはいけない掟、会津藩の「什の掟」8歳から9歳位の男子でも理解していました。こ掟を破った人で一番重い罰は絶交で皆から無視される事が一番武士としてもっとも恥だったのですからその位のプライド持つて男子たるもの女性にも思いやりの気持ちのある振る舞いをするべきである。
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