「むらぎもの心他の春の日にとりのむらがり遊ぶを見れば」
- 橋元雄二
- 2019年11月12日
- 読了時間: 1分
更新日:2019年11月16日
これは良寛の数ある歌の中でも際立ってすぐれている。良寛の晩年の歌でる。やさしさが、ありのままに出ているたくまぬ調べの中にこそ、良寛その人が彷彿としている。
晩年の良寛は、子供を連れて野原を行く時など、曲がりくねって行つたり、時々は飛び上がったりした。人がそのわけを尋ねると、「せっかく咲いた花を踏むことはよくない。花は人を楽しませようと咲くもので,踏んでは気の毒だ」と語ったという。良寛は托鉢の途中でも,雀の群れに出会うと、これを蹴散らすことなく、いつまでも立ち止って眺めて居たという。また、木陰などで休んでいると、いつとはなしに雀の群れがやってきて、鉢の中の米をついばんだが、ついばむのに任せてていた。この様子を上記の歌として残している。良寛の歌には鳥や花を題材にした歌が多い。その意味には、弱者に対する同情もあろう、また理屈もなければ拡張もないという、その純真なものへの憧憬もあろう。その純真さは、良寛の歌鏡境であった。綺麗な花を見れば「綺麗だ」という素直な気持で言える気持が自然に声が出る事を最近、私は忘れかけているようだ。

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