top of page
検索
執筆者の写真橋元雄二

「僧たる者は」

更新日:2021年11月21日


これは良寛の墓碑面に陰刻されている、「僧たる者は」この五十二句長詩が仏教者として、生きてきた、良寛の所信を示すものであった。考えてみれば面白い、曹洞宗の倉敷の円通寺で修行し、十一年後には師である国仙から(修了証紙書)をもらった良寛が、本山の永平寺あるいは宗門のいずれかの寺に所属していたわけではない。また、何らかの連携がの跡もなかった。それにもわかかず、僧侶に向かって過激と思われるほどの檄を飛ばしている。寺を出たはぐれ鳥の良寛が、僧のあるべき心得を説くという状況は、その底に宗門批判がある。しかし明らさまな宗門批判を表明すれば、はぐれ鳥の良寛は孤立せざるをえない。だから「僧たる者は」の詩で、若い僧に呼びけるというスタイルをとったのだ。髪を切り落として僧になったからには、里の家々を托鉢で回り米や銭の施しを受けて、本来の仏道心を養うべきである。僧というものを、すでにこのような姿勢で考えるなら、どうして反省しないでいられようか。今の僧たちを見ると、昼も夜もやたら大きな声で説教している。生活のためにその生涯を仏道修行より他のことに心を走らせている.在家の人で修行の心がけが薄いのはまだ許せるが、出家の身で修行の心がないのは、困ったものだ。要するに、僧たる者は里の家を巡回して乞食せよと言っている。人々の中へ分け入って、人情に触れ、慰め励ます人間アジトになることがそもそもの仏道の原点であると。これは仏教界だけではなく、教育や研究開発の分野でも大切な態度で、組織に安住したままではいけないという心得でもある。

閲覧数:19回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page