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執筆者の写真橋元雄二

「戦争ほど惨めなものはない」

更新日:2020年11月20日


また終戦記念日がくる。この言葉は私の父が言った言葉である。父は戦時中にゼロ戦の整備士の助手をしていた。当初ゼロ戦の戦闘能力は世界にも認められ程の性能を誇った戦闘機であった。回ってる大事なプロペラの間から機関銃が敵機の命中率の高い中央部分にありプロペラを損傷させることなく弾を発射できる素晴らしいベアリング技術とトルク技術を持っていたそうで世界でも類を見ない日本の技術力の高さが伺える。そのゼロ戦を作った人はスタジオジブリ作品の「風立ちぬ」のモデルにもなった堀越二郎という人である。当初は素晴らしい戦績を挙げていたのだが、戦闘機の金属が足りなくなった頃から戦闘能力が落ちていった、終戦間際に特攻隊の志願兵を募った、操縦できる者は限られており、NOとは言えない軍事命令であった。「お国のために死んでくれ」と言われたようなものである。父は神風特攻隊員が出撃する鹿児島の知覧空港へ行き出撃するゼロ戦の整備の為に特攻隊のゼロ戦の最終確認のためにエンジンの点検をしていた。くわしくは父も話したがらなかった。出撃前の一週間前頃には特攻隊員は両親宛の遺言書のようなもの書いたという。もちろん手紙にも検閲が入り本当の気持は書けずにいたようである。弱音の文章などは書けない出撃命令の前日にはおいしいご馳走が並び日本酒も出るがこれから死にに逝く若者達は酔っ払う気持にもなれなかったであろう。父とさほど年齢の変わらない若者達がその頃は敗戦が濃厚でボロボロのゼロ戦しかなかったという、戦闘機に乗り込む燃料は敵艦隊の当たりまでしか飛べない燃料だけで、もう乗ればその戦闘機から逃れることは出来ない、空飛ぶ棺おけである。それでも整備が終わり搭乗席に乗り込む際に父達に「ありがとう。行ってきますと気丈に挨拶して乗り込み、離陸後に翼を左右に揺らし「さようなら」の意味の合図を送り遠い空に消えていくまで父達は見送ったという。特攻隊の任務完了の合図はモールス信号が最後にツーと切れ、モールス信号が届かなくなった時が、若者達の死を意味する、それと同時に「任務完了」の合図でもある。その話を聞かされた後に冒頭の言葉を92歳の父がぽっりと漏らしたのです戦争ほど惨めなものはないこの短い言葉だが重みがあった。この話は息子達にまだ詳しく話してないがいずれ機会を見つけて話す責任が私にはあると思う。二度とこのような戦争で若者達が犠牲にならないためにも。本来純粋に空を舞う飛行機を作ろうと思っていた堀越二郎が戦争という時代に翻弄され作った戦闘機ゼロ戦が最後は若者達の特攻隊機になり、散っていく姿をどう見ていたのだろう。

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