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「組織と今に安住せず精進すれば道はひらける」

  • 執筆者の写真: 橋元雄二
    橋元雄二
  • 2020年8月4日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年8月9日





「へたな人生論より良寛の生き方より」 松本市壽:著 (河出文庫)


良寛の墓の隣に墓碑が立てある内容はこうである。

「今、釈迦の弟子と言ってる僧侶は、仏道を修め勤めることもなく、物事のあり方を究めようともしない。ただ信者の施しを無駄に使い、仏が与えた三つの戒めも心にかけず、大ぜい集まって思いあがった話を交わし、昔通りのまま日々を過ごしている。うわべは悟りを得た顔つきをして、人のいい田舎の老婦をだましている。そして、自分こそやり手だとうぬぼれている。ああ、いつになったら目覚めてくれるのだろうか。たとえ子連れの虎の群れに入るような危ない目にあおうとも、僧侶は名誉や利益の道にたずさわってはならない。」と良寛の墓碑に印刻された「僧たる者は」の中心に上記の文が刻まれている。考えてみれば面白い話なのである。曹洞宗の(現)倉敷市にある、円通寺で11年後修了書をもらった良寛が、本願の永平寺あるいは宗門のいずれかの寺に所属していたわけではない。また、なんらかの連携の跡もなかった。それにもかかわらず、僧侶に向って過激と思われるほどの「檄」を飛ばしている。ここは、どう理解したらよいのだろう。寺を出たはぐれ鳥の良寛が,僧のあるべき心得を説くという状況は,その底に宗門批判がある。しかし、あからさまに宗門批判を表明すれば、はぐれ鳥である良寛はいっそう孤立せざるを得ない。だから宗派を越えて「僧たる者は」の詩で、若い僧に呼びかけるというスタイルで墓碑としてを良寛は残したのです。現代社会の組織の中で働く者に対しても言える言葉ではないだろうか!初心と謙虚さを忘れず、その組織の中の地位にあぐらをかくのではなく更に広い視野で物事を見ることが人間には必要であると良寛は亡くなってからも若い僧達に言いたかったのであろう。



 
 
 

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