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  • 執筆者の写真橋元雄二

良寛の「てまりつき」は遊びに集中する事により無心になる修行の一つであった。

更新日:2020年6月13日




良寛は、子供らと、てまりをついて遊ぶのが何より好きであった。それはてまりをつきながら子供の純粋な心の世界に入りたかったからであろうか。それもあるだろう。実は、良寛がてまりを付くのは、座禅と同じ修行であった。と言われている。てまりというのは、一瞬でも、余計な事を考えると、まりは,はずれて落ちてしまう。そこに「なぜ?」という理屈の世界が入り込む余地は。はない。無心の境地だ。つまりそれが悟りの境地であると良寛は述べている。要は社会の中でも仕事に没頭していればそれはすでに無心の境地と同じことで、すでに悟りの境地の中にいると良寛は言いたかったのである。ただ遊びと言っても無心になることも禅の一つの修行としてとらえていたのである。



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