経文はブッダが悟りを得るヒントを語ったものです。真の悟りは経文の中にはありません。悟りとは、その人の心の中にあるのです。
冒頭の言葉に関連して、良寛は面白い例え話しをしています。渡し船に乗っている時のことです。ある侍が誤って刀を川に落としてしまいました。侍は咄嗟に舟のへりに墨で目印をつけました。「こから川に刀を落としてしまった」という目印にしたのです。そして船頭に、「刀を川へ落としてしまった。すまないが刀を川から拾いあげてくれ」と声を掛けました。船頭は「どに刀を落としたのですか」と尋ねます。侍は「ここだ」と舟の縁につけた目印を指さしました。船頭は目印の川底を探しましたが、刀は見つかりません。当たり前です。侍が刀を落とした場所から舟が移動してしまっていたからです。つまり舟の縁に目印つけても、何んの意味もないのです。刀が沈んだ川の場所を覚えておかなければ、刀を探し出すことは出来ません。良寛は、「悟りを得ようと経文の解釈論ばかりに熱中している人がいる」と言い、そのような人は舟の縁に目印を付けて刀を探す、侍とおなじである。」と述べています。たしかに書物とは、ヒントが述べられた参考資料に過ぎないのでしょう。成功するための本をいくら読んでも、それだけでは成功しません。現実世界の中で頑張ることでしか成功は得られないのです。と言いたかったのです。
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