『什(じゅう)の掟』
- 橋元雄二
- 2023年11月29日
- 読了時間: 3分
更新日:1月29日
● 什(じゅう)とは、会津藩における藩士の子弟を教育する組織の事。●

〇年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ 〇年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 〇嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ 〇卑怯な振舞をしてはなりませぬ 〇弱い者をいじめてはなりませぬ 〇戸外で物を食べてはなりませぬ 〇戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ ならぬことはならぬものです
※什により、一つ二つ違うところもありましたが(「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ』すべての什(じゅう)にあったわけではないようです)、終わりの『ならぬことはならぬものです」は、どの什(じゅう)も共通でした。これは会津藩の武士の子供達への道徳心の教えです。そして、「お話」に背いた者がいれば、什長はその者を部屋の真ん中に呼び出し、事実の有無を「審問」しました。事実に間違いがなければ、年長者の間でどのような制裁を加えるかを相談し、子供らしい次のような制裁を加えました。
一、無念(むねん)一番軽い処罰です。みんなに向かって「無念でありました。」と言って、お辞儀をしてお詫びをします。「無念」ということは、「私は会津武士の子供としてあるまじきことをし、名誉を汚したことは申し訳がない、まことに残念であります。」という意味でした。
二、竹篦(しっぺい)いわゆる「シッペ」です。制裁の重さに応じて、手のひらに加えるか又は手の甲に加えるか、何回加えるかを決めました。仲がいい相手だからと力を抜くものがいれば、什長は厳しく目を光らせ、すぐにやり直しを命じました。
三、絶交(ぜっこう)一番重い処罰です。これを「派切る(はぎる)」と言い、いわゆる「仲間はずれ」でした。めったに加えられる罰ではありませんでしたが、一度「絶交」を言い渡された場合には、その父か兄が付き添い「お話」の集まりに来て、什長に深くお詫びをし、什の仲間から許されなければ、再び什の一員に入ることができませんでした。
四、その他火鉢に手をかざす「手あぶり」や雪の中に突き倒して雪をかける「雪埋め」というような制裁もありました。子供にとって仲間たちから受ける審問は辛いものではあります。(驚く事は「お話」も「制裁」もすべて10歳前後の小学生)の子供達が大人の制約や強制を受けずに年上の什長と子供達で約束事を決めていたことです、「会津藩士はこうあるべきだ。」ということを互いに約束し、励み合ったのです。最近、残念なことは子供達に手本を見せなければならない大人が性不同意行為などのバカげた問題を起こす大人がいる事は非常に残念なことである。「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」に当てはまるであろう迷惑行為や いじめ問題、クラス内での殺傷・暴力事件、闇バイト事件や、本来なら大人が子供達に手本を見せなければならないバカげた問題を起こす大人がいる事は非常に残念なことである。時代は変わってもこの「什の掟」の教えは現代にこそ通じるものがたくさんあるように思えてならない。現代社会の人達は自分の事しか考えられないのだろうか?最近ではメデイアで有名になつた某市長さんのセクハラ行為会見で大の大人がテレビの中で謝罪会見して泣くなら最初から不適切行為しない事です。子供達は大人を見ています、弁解は見苦しい事で恥でしかありません。 (ならぬことはならぬものです) 大人が子供に手本を見せるべき立場を忘れてはいけません。『この什(じゅう掟は会津藩の子供達への道徳心を子供達自身で決めた約束事』なのです無人販売所での窃盗・賽銭泥棒・パワハラ・モロハラ・団体組織での性被害など 人としてやってはいけない事 会津藩の10歳位の子供ですら道徳心を身に付けていたのに倫理・道徳心すら、忘れた大人が今の世の中にいることはとても恥ずかしい事である。
Comentarios