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『佐渡に流された偉人達』

  • 執筆者の写真: 橋元雄二
    橋元雄二
  • 2022年4月9日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年11月9日

交差度を



新潟県の沖にある佐渡ケ島と聞いてまず出てくるのが江戸幕府を支えた佐渡金山を思いべ浮か人が多いだろうが、古くさかのぼってみると順徳天皇・世阿弥・日蓮聖人などの偉人達が流されている。まず、順徳天皇父、後鳥羽上皇の討幕計画に参画し、それに備えるため、承久3年(1221年)4月に子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位して上皇の立場に退いた。父上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で、5月に承久の乱を引き起こしたものの倒幕は失敗に終わった。乱後の7月21日、上皇は都を離れて佐渡配流となった。21年後の46歳で佐渡で崩御され火葬された場所は佐渡の真野御陵として今も宮内庁の管轄で守られている遺骨は京に戻り後鳥羽上皇の隣で眠っている。順徳天皇で有名なのが小倉百人一首の100番目の句の  「ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」が有名です。

世阿弥は当時の6代目将軍足利義教の怒りに触れ佐渡配流となった。能を広めた人で名言として初心忘れるからず」で有名である。能が盛んに舞われるようになったのは江戸時代になってからと言われております。

日蓮聖人1271年に配流となった後の1274年に鎌倉に戻ることになる。これは元寇の1274年の来襲によるものが関係しているようです。佐渡は金山ばかりでなく日本史にも残る偉人達の宝庫なのかも知れない。


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