良寛は、径文にたよる僧侶は、うわべの現象にとらわれて自己の考えを譲ろうとしない。作法の形ではないのに、もったいづけをして悟りや径文を学んでいても、ひとたび寺の門を出ればただの人間に過ぎないのに、径文、悟りだのと言って権威づけする僧侶の作法の形ではないのにもったいづけて譲らない姿勢であることを良寛は嫌ったのである。ビジネス界でも教育界でも、この種のことが多すぎるのではないか。だから仏教は葬儀と法事だけになった、宗教界だけではなく侮りは本質をダメにのするのだと憂いている。芭蕉の句に「稲妻に悟られぬ人の貴さよ」がある。稲妻を見ては電光朝露の人生よなどと、すぐ悟り顔でいう者いやらしさを嫌い、それより何も思わずに無心でいる人のほうがよっぽど尊い」と生語りの禅を風刺したものだ。要は、径文の内容や教養より「僧としてあるべき姿を忘れるな」芭蕉が幻住庵を引き払い菅沼曲水の手紙に書いた句に書かれていたそうである。
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