私は、この時期になると子規の絶筆三句とこの句を思い出してしまう。
「鶏頭の、十四五本も、ありぬべし」子規は病の身で庭に咲いていた真っ赤な鶏頭の花をどのような気持ちで見ていたのだろう。散り行く自分の寿命をあきらめた気持ちなのか生への執着だったのだろうか?おそらくまだ生きてたくさんの俳句を世に残したかったのではと思ってしまう。
※ニワトリの頭のようなグロテスクな形状の「トサカゲイトウ」は昔はどこの庭にもあった気がするが現在は品種改良で上記のような鶏頭は見なくなった子規が現在の社会で品種改良された鶏頭の花を子規がみたら「鶏頭の、十四五本も、ありぬべし」の句もなかつただろう。
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