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いじめ問題にも通じる「什の掟 (じゅうのおきて)」の教え

  • 執筆者の写真: 橋元雄二
    橋元雄二
  • 2020年3月4日
  • 読了時間: 5分

更新日:2020年3月14日






昔、会津藩には同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。 毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ 一、戸外で物を食べてはなりませぬ 一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ ならぬことはならぬものです ※什により、一つ二つ違うところもありましたが(「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」はすべての什にあったわけではないようです)、終わりの「ならぬことはならぬものです」は、どの什も共通でした。 そして、「お話」に背いた者がいれば、什長はその者を部屋の真ん中に呼び出し、事実の有無を「審問」しました。事実に間違いがなければ、年長者の間でどのような制裁を加えるかを相談し、子供らしい次のような制裁を加えました。 一、無念(むねん)※武士として恥ずかしいことをしてしまいましたというお詫びで一番軽い処罰です。皆んなに向かって(今で言う、恥ずべき事をして迷惑かけて本当にごめんなさい。)である。昔会津藩の武士の子供達はみんなに向かってまず「無念でありました。」と言って、お辞儀をしてお詫びをします。「無念」ということは、「私は会津武士の子供としてあるまじきことをし、名誉を汚したことは申し訳がない、まことに残念であります。」という意味でした。 二、竹篦(しっぺい)いわゆる「シッペ」です。制裁の重さに応じて、手のひらに加えるか又は手の甲に加えるか、何回加えるかを決めました。仲がいい相手だからと力を抜くものがいれば、什長は厳しく目を光らせ、すぐにやり直しを命じました。 三、絶交(ぜっこう)一番重い処罰です。これを「派切る(はぎる)」と言い、いわゆる「仲間はずれ」でした。めったに加えられる罰ではありませんでしたが、一度「絶交」を言い渡された場合には、その父か兄が付き添い「お話」の集まりに来て、什長に深くお詫びをし、什の仲間から許されなければ、再び什の一員に入ることができませんでした。 四、その他火鉢に手をかざす「手あぶり」や雪の中に突き倒して雪をかける「雪埋め」というような制裁もありました。 子供にとって仲間たちから受ける審問は辛いものではありますが、「お話」も「制裁」もすべて大人たちに言われてつくったものではなく、子供たちが制約や強制を受けずに自分たち自身でつくり、「会津武士の子はこうあるべきだ。」ということを互いに約束し、励み合ったのです。小学校の中でも互いに助け合いを学ぶことの意義は同じではないのか?今、学校で問題になっいる、いじめ問題についてである。学校の中でのいじめやSNSを使用した誹謗中傷が問題になるとすぐに教師、教育委員会などへの問題責任となっているが、まずは、いじめる側の生徒の親が自分の子供に家庭内で道徳心をキチンと教え込んでいるのか?にも問題があるのではないのだろうか?もうひとつ、それと合わせて学校の中でまず子供達同士のいじめや仲間はずれ、誹謗中傷についての話合いでのルール作りの道徳教育をきちんと教えているかが問題ではないのだろうか?会津藩の子供達にはすでに6歳~9歳小学校で言えば1年生から3年生の低学年の間で、すでに子供同士で話合い「やってはいけない事」を互いに話し合いそれを破った者にはお仕置きがあったのです。詳しくは上記に書いてあるが小さい頃より「ならぬことはならぬものです。」としっかり受け継がれ教えられているのです。この会津藩の什の掟 (じゅうのおきて)の事はまず学校でのいじめ、現代社会のSNSでの誹謗中傷にも通じるものがあると考える。「ならぬものはならぬのです。」この道徳教育を学校で先生が教えるのではなく家庭や子供達だけで小学校の低学年の時から悪い事についてみずから考えさせ。ルールを破った時の罰をみずから決めさせ、破った者ににどういう罰で約束を守ってもらうほうが大事であると私は思う。決して体罰で償いをさせる事を言ってるのではない。会津藩の小さい6歳~9歳子供でさえ自分達で子供らしい掟と罰を自分達でルール作っていたのである。時代は変わってもこの「什の掟」は現代でも通じるものがある。人としてどう向き合うべきなのか?子供達にもっとも必要な大事な道徳の教えであると私は思っている。 これは大人でも言えることでならぬものはならぬの道徳心はSNSの誹謗中傷する者に対して大人として、もっとも、恥ずべき行為である事も忘れてはいけない、一度書き込みをすればたちまち拡散してしまい、もう後には戻れない書き込みした者の信用は社会から失われてしまう、そうならない為に幼い時からならぬものはならぬの什の掟」教えを身につけ人への痛みを分かる大人になってほしいしそれを子供達にも受け継いでいってほしいと願う。いじめは弱い人間が一人では出来ないから群れになって攻撃するもっとも恥ずべき卑怯な行為である。「私も同じことをされるのではないか」となり周り人達が自然と離れて行きます、ふと周りを見渡すといつのまにか、回りには誰もいなくなっているなっているでしょう。もしSNSの誹謗中傷行為で非常に困っている人がいるならば最寄の警察署にサイバー対策担当部署がありますのでご相談されるか刑事事件として取り合ってくるか相談なさり弁護士さんに相談なさればよろしいです。書き込み内容が嘘か本当かで判断されますから、嘘の内容であれば中傷した相手は刑事罰の対象となり、仮に執行猶予のついた刑事罰を受けたとしても誹謗中傷した側に前科と罰金がつきますから社会から信用もなくしてしまいます。「因果応報」という言葉があります。「いいことをすれば幸せになれるが、悪いことをすれば、必ずその罰を受けて不幸になる」という意味です。肝に命じておきましょう。

 
 
 

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