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良寛は「発達障害の一部に分類されるアスペルガー症候群の可能性が高かったという。

  • 執筆者の写真: 橋元雄二
    橋元雄二
  • 2019年11月13日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年6月26日




 良寛の実家は出雲崎の橘屋という名主であった、名を山本と名乗っていた。良寛は長男であったが 出家したため弟の由之が名主を守っていたが、その名主が、財産没収と所払いの処分を受け、庄屋は潰れ、弟由之は与板の地に身を隠さなければなくなったとき,どさくさにまぎれて「過去帳」※代々の、亡くなった方の戒名や俗名、死亡年月日、享年などを記しておく系譜帳が書かれた過去帳。も、なくしてしまった。何しろ山本家は七百年以上にも、名主の職を務めた名家なので、家人は大いに悔しがった。これを聞いた良寛が「それではわしが作り直してあげよう」と、自分の記憶を頼りに見事に復元してしまった。日頃は物に執着しない良寛であったから、家の者はすっかり驚いてしまった。なお、この「過去帳」は、今でも山本家に保存されているという。これによれば、良寛が記憶を頼りに書いた戒名には、死亡した年月日まで記されているというから素晴らしい記憶力である。またこのような話もある、現吉田町にある染戸屋は、良寛の親戚であった。そこで良寛はしばしば訪ねていた。同家は商屋であって、帳場には「当座帳」が置いてあった。あるとき良寛は、それを手にとって,初めから終わりまで一枚一枚目を通していた。主人は心の中で「おかしなことをする」と思った。ところが同家は、その後、火災にあって、大事な「当座帳」をも火災のどさくさで紛失してしまった。たまたま訪れた良寛に、主人が「当座帳」までなくして大損したと話すと、良寛が、「わたしが書いてあげましょう」といった。主人は疑いながらも、言われるままに、新しい帳面ををもってくると、記憶していたことがらを一枚一枚ていねいに書きつらねていって、とうとう復元してしまった。その後、元の「当座帳」が見つかったので、良寛に書いてもらったものと照らし合わせてみると、少しの違いもなかった。人々は驚いて、言葉もでなかったという。ある説では 良寛は発達障害の一種のアスペルガー症候群だったのではないかとの説がある。同症候群の人は、知的障害は伴わないが対人関係が苦手で社会性に乏しい一方で、実際に名主の橘屋を継いだ時、良寛はバカ正直者で猟師とのいざこざなどもうまく収拾できずに奉行を怒らせた事もあり人とのコミュニュケーションをうまく取れなかったところもあったそうだ、その変わり、特定の分野に強い興味や集中力を示し、稀に独創的な才能を発揮する「天才型」の人がいる。アイシュタイン・ゴッホ・三島由紀夫もそうでなかかったと言われている、 まさに良寛の記憶力や、書なども自由奔放で型にとらわれないところにも良寛にはその傾向が見られるのです。当座帳の書き写しや系譜帳や過去帳などは写しがなければ到底一般人ではできないし、膨大な過去の系譜を思い出しながらでも普通書けるものではない、そういうところも卓越した記憶力と能力を持っていたのは確かなようだ。

 
 
 

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