「いかなるが 苦しきものと問うならば 人をへだつる心と答えよ」
- 橋元雄二
- 2021年4月10日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年6月6日

良寛さんは「僧に非ず 俗に非ず」と言い切り、自由気ままに生きていました。
酒や煙草をたしなみ、晩年70歳の時には貞心尼という30歳の40歳も年の離れた弟子である恋人もいました。後に良寛が床に伏せ、息を引き取るまで看取った尼である。
近所の子供たちと手まりで遊び、ほろ酔い気分でお祭りに参加して村人とともに踊る。
そうやって好き勝手に生きているようで、実は質素な生活を貫き、人々には分かりやすい言葉で仏教の教えを説いた。そうした生き方が人々から親しまれ、今に到っている。
人をへだつる心とは、人と人の間にできた見えない心の壁。
人種の違い、育った環境の違い、主義主張の違い、社会的な立場の違い
様々な「人を隔てる壁」が我々を孤立させている。
そこから他人への理解や共感が損なわれ、身勝手な嫉妬、愛執の心が大きくなってゆく。
それが「苦」の種となる。
良寛さんの生き方には、根底に「慈悲の心」があった。
他人の痛みを、自分の痛みのごとく感じ取り、共に笑い、共に泣く。
そうやって、智慧の光で周囲を照らしていた。
自由気ままに生きながら、わだかまりのない心で人と接する生き方を貫いていた。
いま、心が苦しいですか?
それは孤独だからですか?
あなた自身の心の中に、わだかまりがあるのでは?
本当に楽になりたいのなら自分の心にあるわだかまりの心を棄てなさい。
今の社会は、混沌とし、人々の間にギスギスしたものやストレスが溜まっている気がしてならない。
障がいのある方にも、自分の痛みのように感じ取り、共に笑い、共に痛みを分かち合うそんな共生社会であってほしいと願う。
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