今の新潟県の県長岡市に上州屋というお酢や醤油を扱う老舗があった。良寛もよく托鉢に行っていた。ある日、上州屋の主人は一計を案じた。粗悪な看板を店先に貼り、良寛がやつて来るのを待っていた。主人は、例のごとく現れた良寛に、「看板の文字の良し悪しは、売り上げに左右します。どうか良寛様の書を頂きとうございます」と頼んだ。これを聞いた良寛は、喜んで、(酢・醤油 上州屋)と書いてあげた。さっそく主人は障子に張り付け、看板にした。それを、たまたま亀田鵬斎が見つけ、主人に向かい、「良寛様の直筆を店頭に晒すのは勿体ない。別のものを書いて上げるから良寛様のものは、家宝として残しなさい」また新しい看板を書いた。主人は亀田鵬斎から言われた通りに、その書を看板にした。すると後年、栃尾市の書家である巻菱湖が亀田鵬斎の看板を見つけ亀田鵬斎の看板は秘蔵しておきなさいと言われ巻菱湖の書の看板にした。するとまた後年に栃尾の書家富川大塊が巻菱湖の看板を見つけ二人と同じように看板を書いた。こうして上州屋には、良寛・亀田鵬斎・巻菱湖
・富川大塊の四人の筆となる看板が秘蔵されているという。これだけの有名な書家の四枚の看板が上州屋にあること自体が奇跡である。
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