『新潟県角田山登山『灯台コース』
- 橋元雄二
- 5月29日
- 読了時間: 3分
更新日:6月29日

角田山で最も眺めがよく最もきついとも言える灯台コース。
海抜0mからスタートすることに加え前半はアップダウンを繰り返すためなかなか高さを稼げない。途中岩場もあるがそれほど難しくはない。慣れた人は60分程度で登ることも可能だが、そうでない人は頂上まで休憩含め90分~120分ほどを見ておいたほうがいいでしょう。
日本海を一望できるため眺めは素晴らしいコースです。新潟市 西蒲区 にしかんく に位置する 角田山 かくだやま (標高481.7メートル)は、佐渡弥彦米山国定公園に指定され、年間を通して県内外から多くの登山客が訪れます。駐車場300台 海岸線は越後七浦シーサイドラインで景勝地で天気が良ければ佐渡ケ島が見えます。
海側の反対の内陸側は、春の雪溶けシーズンになると雪割草やカタクリの花が見事です。
新潟県新潟市西蒲区角田浜 | ||
交通アクセス | ●JR越後線「巻駅」よりバスで40分 ●北陸自動車道「巻潟東IC」より車で40分 | |
駐車場 普通車 300台 | ||
問い合わせ先
問い合わせ先 | 巻観光協会 |
電話番号 | 0256-72-8736 |
(角田山から見る夕陽)

この角田山の隣にある弥彦山は万葉集にも詠まれている由緒ある山で山全体が神様として崇められていました。万葉の昔より「おやひこさま」とひろく人々の篤い崇敬を集め
朝廷をはじめ時の幕府・武将からも手厚く庇護されました。彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に越の国開拓の神業を終えられ神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀した事に始まります。下って第十代崇神天皇の御代(御在位:紀元前97~30年)に、第六嗣(天香山命より七代)建諸隅命が勅を奉じて社殿を造営して以来、御歴代の天皇の勅による社殿修造がなされ、第四十三代元明天皇和銅四年(711)には勅により神域の拡張と神戸及び神領の境を定めたと伝えられております。よって彌彦神社は御創建から二千四百年以上の歴史を有する神社です。越後一の宮として古くから信仰されておりました。
前にも書いたが万葉集に詠まれているものは「伊夜彦(いやひこ) おのれ神(かむ)さび 青雲(あをくも)の たなびく日すら 小雨(こさめ)そほ降る」※昔は弥彦山と呼ばずに伊夜彦様(いやひこさま)と呼ばれておりました。(作者) 越中(こしのみちのなか)の国の歌。
(意訳) 伊夜彦の山はそれ自身が神々しく、青雲がたなびくような日でさえも山では小雨がそぼ降っている。と言う意味です。
またこの近くに良寛様が住んでいた国上山がありその中腹に五合庵が建っていました。昔は弥彦山と呼んでおらず山自体を神様として崇めていたので伊夜彦様と呼んでいました上記の写真の佐渡ケ島が良寛様の母のお秀(おのぶ)が生まれた場所です。良寛が出家後19年後故郷に帰ってきてまず出雲崎の海岸に行き帰って来た報告と亡くなった母を詠んだ句が「たらちねの 母が形見と朝夕に 佐渡の島辺を 」小さい頃に可愛がってくれた亡くなった母の事を忍んで詠んだ句である。良寛の父の以南(いなん)は京都桂川で入水自殺を図って死亡しました。良寛の実家の橘屋は名主の座を奉行所よりお取り上げとなり実家は没落することになり一家離散となり家督を譲った良寛の弟由之(ゆうし)は見附市に隠れるように住んだと言われております。
コメント