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『佐渡の稲作と棚田の歴史』

  • 執筆者の写真: 橋元雄二
    橋元雄二
  • 2 日前
  • 読了時間: 1分

佐渡での稲作の始まりは、約2000年前からだとされ、佐渡中央部の湿地帯を中心に行われていました。17世紀に入ると相川金銀山が発見され、ゴールドラッシュとなったことから、全国各地から冨を求めた人々が佐渡をめざし、入口は爆発的に増加しました。急増した人口の食糧供給のため、新田開発が促され、海沿いや、海岸段丘の上から山間部深くまで耕す佐渡独特な棚田の風景を作り上げました。田植え前は写真のように夕陽に反射する棚田が、稲刈り時期には稲穂が黄金色に輝く景色をたくさん見る事が出来ます。

佐渡に出張の際はほぼ全島を巡るのでこのような景色が沢山ありカメラマンには絶好のポイントである。また佐渡は民話の宝庫でもある。娯楽が少ない寒村の家々で、子供らに夜ごとせがまれ大人たちが語った昔話が、代々紡がれていったようだ。演劇やオペラで有名な木下順二の「夕鶴」も佐渡の民話「鶴女房」がルーツ。

佐渡・外海府(そとかいふ)海岸の北片辺(きたかたべ)集落。このごく小さな漁村で戦前、語り継がれていたのが、全国では「鶴の恩返し」として知られるこの民話だ



    

  

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