庄屋の阿部定珍(さだよし)は、良寛の有力な施主であった。良寛が阿部家に托鉢に来たり、宿泊する時には、いつも食膳の位置が決まっていた。そのため良寛は、食器などに相
違があつてもすぐに箸をを取って食事をした。時には魚の汁物が出されていても、知らないかの如く食べた.定珍の妻が「良寛さま、それは鱈 汁ですよ」と教えると、そこで初めて良寛は、「そうか」と言って、食べるのをやめたという。※仏門に入ってる者は生き物を食べてはいけない決まりがあるのですが良寛は全く気にもせずに村の子供には酒の使いを頼んで酒を買いに行かせたり仏門の戒律は全く守っていなかった。僧侶が仏門を守る戒律なのに良寛は全く気にせず、型破りの人でした。知り合いの家や托鉢で伺った時だけは仏門の教えを守ってたようです。良寛がキセルで煙草を吸ってる姿はどうも想像できない笑良寛は煙草入れをいつもすぐになくしてしまうので近所のばあさんが、首から長い紐で縛って煙草入れを紐の先に結んでいたそうで道ですれ違った人から煙草を少し貰えないかとお願いされた時には良寛は『煙草は後からついてくる』と答えたと言う。
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