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  • 執筆者の写真橋元雄二

『良寛と貞心尼の最後のやりとり』

更新日:2023年1月27日


1,832年(天保二年)正月6日にいよいよ良寛の臨終の時が近くなった夕方に、弟子で恋人でもあった貞心尼が、良寛に歌の上の句を渡すと良寛はむくっと床の上に起き上がり死を迎えようとしていた。「くるに似てかへるに似たりおきつ波」現代語訳「今あなたに、向こうの方から死がやってくるように思えるし、今あなたがもとの命のふるさとへ帰っていくように思います。あの沖の波のように」良寛はまんじりともせず、この上の句をじーっと眺めていたが、ややあって、下の句の七・五をつける。「あきらかりける君が言の葉と」現代語訳「あなたの言葉は、さとりに明らかですばらしい。お見事ですよ」この句が貞心尼に渡した絶筆の句となった。


「形見とてかなにか残さん、春は花夏はほととぎす秋はもみじは」の句は良寛が今までお世話になった方々に詠んだ句がの辞世の句して残されているが、本当は良寛と貞心尼が死の間際に交わした句が絶筆となった。良寛が70歳の時に良寛の教えに賛同し貞心尼が押し掛け女房のように良寛の元で弟子になった、貞心尼は長岡藩 奉行組士 五代 奥村五兵衛(嘉七の次女名を(ます)として生まれ18歳で医師の嫁になったが跡継ぎが出来なく離縁され29歳の時に良寛の元に行き、尼となった。尼になる前の性格は勝気でしっかりした女性であったようでです。


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