『虎に願って猫にもなれず』
- 橋元雄二
- 2月14日
- 読了時間: 2分

修行を始めた頃は、虎になろうと意気込んでいましたが、猫にすらなれませんでした。私は結局、子どもの栄蔵のままなのです。
冒頭の言葉は十八歳で名主の実家を出て諸国を放浪し、二十二歳で岡山、円通寺の国仙和尚を師匠にして、禅の修行を始めたと言われています。冒頭の言葉は、良寛が修行を始めた頃を思い出したものです。良寛は、「修行を始めた頃、私は虎のように力強く、果敢に修行に励む禅僧になるつもりでいました。しかし、実際には虎どころか、猫のようにか弱い力さえありませんでした」と語っています。そして、「出家して良寛という名を得ましたが、私は結局、どこへ行っても何をしても、子どもの栄蔵のままなのです」と言います『栄蔵』とは
良寛の子どもの時の名前です。と述べている。これは自分を謙遜しているのではないのです。むしろ良寛はこう言いたかったのだと思います。「背伸びして自分を偉く見せようとしたり、自分の力を買いかぶったりしてもしょうがない。人は結局、ありのままの自分としてしか生きていけないのだ.ならば初めから、ありのままの自分でいいのではないか」
自分を虎のように強いと思い込んでも、それは結局見せかけに過ぎないということでしょう。つまり、「いずれ化けの皮がはがれるののなら、化けの皮をつけないほうがいい」という意味だと思います。ありのままでいきるほうが気が楽だし、幸せに生きていけるということなのです。
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