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  • 執筆者の写真橋元雄二

「なぜ私が障がい者福祉施設にオリーブ園を作る事になったのか」

更新日:6 日前




栃木県足利市のココ・ファーム・ワイナリーは、ブドウ栽培やワイン造りの作業の一部を、知的障がい者・発達障がい・ダウン症の人もいる障がい者支援施設のこころみ学園に委託されている。こころみ学園は、ココ・ファーム・ワイナリーに隣接し、20年ほど前に訪問させて頂いた.当時、平均年齢55歳、最高齢94歳の主に知的障がいを持つ人達が全国各地から、こころみ学園を頼って約150名の方が集団生活しながら暮らしている。ぶどう栽培作業で汚れた作業着や下着の洗濯物には名前が書かれており、各部屋の前に駕籠が置かれており、主に知的障がいのある女性陣達はまず朝に各部屋より汚れた作業服や下着などを集めてランドリー室に何台もある大きなドラム式の業務用の洗濯機で洗い終わると、それを外で干す作業をしてから、作業した子供達の昼飯の準備をして、それが終わると乾いた洗濯物を回収して綺麗に畳んで各部屋の前に、置いて行く、ぶどう畑で汚れた作業で戻って来る男性の障がい者の為に大浴場を綺麗に洗いのお風呂のお湯張りの準備を手際よくこなして行く、女性陣達には暗さはまったくなく、むしろ明るく楽しそうに作業しているのである。ここで作業してる60歳位の知的障がい者の男性が私に話しかけて来た。『僕はれからもここで、ずーっとみんなと一緒に暮らして行きたいんだ。』、これは彼の偽わざる本音であろう。池上知恵子氏(ココ・ファーム・ワイナリー専務取締役)の父・川田昇氏が、学校で特別支援学級の担任、福祉センター施設長などを務めた後、1969年に私財を投じ急勾配の山を買い川田昇氏が特別支援学級の生徒達と2~3年がかりで38度もある急斜面の山林を切り開き。シイタケの原木での栽培とブドウの苗木を植えたことから始まる。当時は重機も入れない急斜面の作業は全て手作業である。松の木も大木になれないような38度もある急傾斜の山で石だらけの地層だが、陽あたりが良く、水はけも良い。そこで、やせた土地に適しているキャンベル、デラウェアなどのブドウ栽培、鳥害による被害を防ぐために山の頂上付近では重度の知的障がいの子が一斗缶を一生懸命叩いて鳥にぶどうが食べられないように鳥を驚かす仕事や、知的障がいで力のある子どもは伐採したシイタケの原木を活かしたシイタケ栽培をこつこつと続けていた。ところがブドウの収穫には大きな波があり、不作の年は暮らしが立ち行かなくなってしまう。「ならば、ワインを造ればいい」と、川田昇氏は思い至った。そこで本格的にワイン製造に取り組まれ、ココファームワイナリーで作られたスパークリングワインは2000年に開催された九州・沖縄サミットの食事会の各国首脳陣の乾杯用として出され各国の首脳陣より高い評価を受けた。このぶどう畑は38度の傾斜のある畑で大きな重機も入られないので全てが手作業で雑草なども草刈りをしているのである。川田氏に聞いてみた何故こんな大変な場所にワイン用ブドウを栽培したのか尋ねて見た。 この施設に入所に来る障がい者の子供さんは親御さんに大事にされて育ってきたのでほとんどの子は、体力がないのでまず38度の傾斜を障がい程度の体力に応じて歩かせて頂上にあるシイタケ用の原木などを取りに行かせて運んだりするたびに、食欲も出て体力もついてきたそうである。決して意地悪をしているわけではない子供達が健康な体になつてもらいたい為である。何ケ月か立って御両親が子供の様子を見るためこころみ学園に見学にくると入所した時とは別人のよう息子や娘さんが変っていることに驚くそうである、入所した頃は体力のなかったダウン症の子供も誰もがその頃には体もしっかりとした体格になり笑顔が多く見られるようになり川田先生が教えてくれた。ダウン症の子供は体力的にも弱いと言われているがここにいるダウン症の子供達も、皆元気で過ごしている。







ココファームワイナリーの全景です。ココファームにはテラスで目の前の急傾斜のブドウ園を見学しながら食事も出来ます

ココファームワイナリーさんは栃木県の足利市の渡良瀬橋を渡り市内の足利学校(日本で最古の学校として知られ日本遺産にも指定された足利学校を過ぎたその奥の山に囲まれた場所にココファームワイナリーさんがあります、ぜひ、機会があれば見学に行かれてほしい。事前予約すればランチなどの食事も食べれるので目の前にあるぶどう畑で作業している子供達の様子を見ながら食事なさってお土産にワインを買って行かれてはどうでしょう。川田昇氏は2010年90歳でお亡くなりになりました、障がい者支援の先駆者であると私は今でも思っています。亡くなる前に川田先生とお会いできて話す事が出来き。貴重なお話を聞かせていただいた事は、私のその後の障がい者支援を始めるきっかけとなりました。川田先生みずから出してくれた冷たい白ワインを飲みながら川田氏が私に『どうだ旨いだろう』と出してくれた白ワインの味と川田先生の笑顔を一生忘れることはないでしょう。『渡良瀬橋』の曲を聴くと川田先生と会ったあの頃の事を思い出す。きつと川田先生はぶどう畑の様子と子供達の作業の様子をを毎日空から見てくれているんだろうと思う、本当に長い間、障がい者支援にご尽力された川田昇先生本当にお疲れ様でした やすらかにお休みになってください。合掌


下記は川田昇先生が書いた著書の本である







この川田昇先生に会ったことで私の「オリーブ栽培での障がい者自立支援」の活動を現実化出来ると思った。また自分の半生をぶどう園にかけた川田昇氏の著書「山の学園はワイナリー」「ぶどう畑の笑顔」などの本もあるので、ぜひ読んでいただきたい。私が「オリーブ栽培での障がい者自立支援」の活動に繋がつたのも川田先生のおかげでもあったと思う。

私がオリーブ園を作ろうと思ったのは短期の農業大学校に通って付加価値の高い果実で何が良いのか試案していた時に思い立ったのオリーブでした。ただ資金が足りないことをどうするか?私は、昔からお金がなければ知恵を出せという主義でしたので、当NPO法人よりオリーブ栽培での障がい者支自立活動」の助成を日本財団様に申請をお願いしてみた。当時、ちょうど東日本大震災の大惨事が起き、日本財団様も大きな震災で流された船の補修費や中古船の調達などの手配で大変な時期でもあったので、私のNPO法人の申請したものが助成の対象になるのか?すごく心配でしたが、日本財団様の担当者様からはなぜオリーブ栽培で障がい者支援になるのかを会社勤めの方ならお分かりだと思うが報告書や企画書で5W1Hの手順で申請書を書き上げたことを思い出す(この資料作りは前職の会社での仕事柄身に付いていたので助かった)いつ(When):いつ開催するのか · どこで(Where):どこで開催するのか · 誰が(Who):誰がターゲットなのか:申請書を書き上げてからも、 さらに細かい説明が欲しいと言われたので電話でのやり取りなので日本財団様の担当者様と一項目づつ疑問点を解消していった。当時は自分の仕事と日本財団さんの資料作りや講演会での発表資料をパソコンにしがみついた状態が資料作りに深夜まで何日も続き、物凄く忙しかったことを覚えている。なんとか申請に漕ぎつける事ができた。その後、日本財団様の担当者様より『オリーブ栽培での障がい者自立支援のオリーブの苗木と講演会も含めた活動を助成金の対象として認められましたよ。オリーブ栽培での障がい者自立支援活動は今までにない申請内容で将来性のある障がい者支援ですので頑張ってください。と担当者さんから言われたことは大変うれしい言葉でした。それからは講演会でのパワーポイントなどの資料作りなどで寝不足でフラフラの状態の時に、日本財団様より、当法人の『オリーブ栽培での障がい者自立支援活動』の特集記事が発行され、某県にある障がい者社会福祉法人様の目に止まり、社会福祉法人の担当者様がわざわざ当法人まで見学にこられ元々クリーニング作業が主だったこの障がい者福祉施設様では、子供達の為に野外での作業も出来るようにオリーブ園を作って支援をお願い出きませんか?」話を頂いたのがきっかけでした。それからオリーブ栽培の土壌造りから本格的に取り組み、イタリアより直接取り寄せてもらったオリーブ品種を最初は高さ 80cm程のオリーブの苗木を60本ほどを植栽した時にオリーブの幼木に子供達が水やりする時に『大きく育ってね!』と声をかけながら大事そうに子供たちが水やりする姿を見た時には、オリーブ園を苦労して作ってげて本当に良かったと思いました。そんな中で今までの資料作りやオリーブ園の準備などで無理がたたり今までの積み重なった疲れで私の体が悲鳴をあげ倒れてしまい。入院騒ぎとなり絶対安静と主治医から言われたが、実はもう1ケ所だけ講演会場をすでに押さえていたので困ってしまい、主治医に3日程『自宅で必ず安静にしてますからと帰してほしいと』嘘を言い病院を抜け出し自宅によらずそのまま、長男に同行してもらい空港から会場のある都市まで飛行機で出かけてなんとか最後に一つ残っていた講演会をなんとか無事に終わらせる事が出来きました、その講演後会場からすぐにとんぼ返りで飛行機に飛び乗り病院のベッドにそっと戻ることが出来ましたが皆さんは絶対にしないでくださいね(笑)オリーブ園作りに協力してくださった皆様には心よりお礼申し上げます。この病院騒ぎで私の体も壊してしまったが悔いはない。あれから十二年ほどが過ぎ、今では600本にまでオリーブの木も増え、すっかり立派で大きなオリーブ園になり、6次化された商品オリーブ油なども搾油出来るまでになり、社会福祉法人で販売できるまでになり、オリーブ園が施設に入所されている障がい者さん達の生きがいの場所にオリーブ園もなっているようです。これからもオリーブの木を大事に育ててくださいね。最後に『オリーブ栽培での障がい者の自立支援』の活動が日本財団様の特別誌で取り上げられたことで各地で『オリーブ栽培での自立支援』の講演を少人数のグループで質問形式でお話させていただく機会もいただきありがとうございました。この障がい者施設に植えたオーブ園の成長具合を見学に行こうと思ったのですがその頃に、コロナが流行り始め、鉄道や飛行機での移動は今は移動すべきではないと忠告され、相手様の社会福祉法人様と協議の結果、オリーブ園の見学会をする事は叶いませんでしたが、私の体調が良ければ成長したオリーブの木を2024年の暖かい時期に格安航空券を利用して飛行機でこの社会福祉法人様の施設のオリーブ園のオリーブの木の成長具合を見に行きたいと思っています。オリーブの木は乾燥に強く,陽当たりを好み、実は寒さにも強い品種を選んで氷点下10℃以下の気温が何日も続かなければ寒さにも強く,鳥害の心配もない。また、オリーブの木は長寿の木でもあり1,000年以上も生き続けるオリーブの木もあり、今後も障がい者の皆さんに、長く毎年、子供達に恵みを与え続けてくれる宝の木になると信じております。植栽後は、オリーブ園の開園に間に合うか心配でしたが,なんとか間に合う事が出来ました。オリーブ園が何百年経っても障がい者の皆さんの生きがいの作業の場になってくれればそれだけでうれしい事です。私がここまで頑張ってこれたのは私にも重度障がいの子供がおり、いつか皆さんのお世話になる事があるだろう、そのためにも最後までこのオリーブ園を作り上げるんだという使命感が私を突き動かす力になったんだと思う。


           



      




     
















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