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『山形県月山湖のカヌー体験の案内』
山形自動車道 月山ICから車で5分 〒990-0733山形県西村山郡西川町大字月山沢105地先 カヤック操作講習あり 施設のご案内 -ライフジャケット貸出しあり フェリシア月山カヌーセンター - 西川町

橋元雄二
22 時間前読了時間: 1分


SLばんえつ物語
磐越西線で新津駅より会津若松駅間を往復「SLばんえつ物語」を運転します 「森と水とロマンの鉄道」磐越西線の、四季折々の風光明媚な景色を お楽しみください。 種別 列車名 発駅・発時刻 着駅・着時刻 新津 10:03 会津若松 13:36 運転日 編成 快速 SLばんえつ物語...

橋元雄二
2 日前読了時間: 2分


『一朱銀一枚』
ある年の暮のことである。良寛は出雲崎の生家山本家へ、「近頃、金がたまり、山住まいの身には不用心で困るので、入用ならば使いの者を寄こすように」という手紙を出した。当時、山本家にはお金の余裕なんてなかったため、これは幸いと,さつそく使者に重箱を持たせて使いにやった。使いの者が来...

橋元雄二
7月2日読了時間: 1分


『多忙が幸せ?のんびりが幸せ?
良寛の知り合いに藤江(とうこう)、という医者がいました。彼は、よく囲碁をしながら遊んでいました。藤江は、あまり世渡りが上手ではなかったようです。そのために医者として出世できず、やってくる患者さんも多くありませんでした。しかし、逆に患者さんが多いとそのために多忙となり、ゆとり...

橋元雄二
6月24日読了時間: 2分


『佐渡薪能のご紹介』
世阿弥 室町幕府の3代将軍足利義満の寵愛を受け、能楽を大成させた世阿弥は、 6代将軍足利義教の怒りにふれ 、1434年に佐渡に流されました,どうも、理由は 世阿弥は結局、実子である元雅に観世大夫の地位を継がせたが、将軍・義持亡き跡を継いだ義教は、音阿弥の方を寵愛しており、絶...

橋元雄二
6月16日読了時間: 1分


『遊郭でおはじき』
良寛は時には遊郭に上がり込み遊女達のおはじきの仲間に入って平気で遊んでいたらしい。それを知った良寛の実家であった橘屋の弟の由之(ゆうし)が良寛に歌を以て忠告したことがあった。 「黒染めの衣着ならば浮かれ女と うかうか遊ぶ君が心は」 :由之(ゆうし)...

橋元雄二
6月3日読了時間: 1分


『団扇とてあまり丸きは』
良寛の親類で、いとこ同士の夫婦がいた。親しすぎるために、互いに慎むという事がなく、波風の絶える時がなかった。それを聞いた良寛は、ある時,団扇の両側を切り落として扇の形に真似て、表に「うちわとてあまり丸きは見良からず扇の角を少し加えて」という狂歌を書いて与えた。※うちわは”団...

橋元雄二
6月3日読了時間: 1分


『ラピュタ~城に似てると言われる 場所』
鉱山の歴史 鉱山は新潟県にある金属鉱山で、 江戸時代中期に採掘が始まったとされる 。当初は藩が運営していたが三井金属工業に 明治から大正にかけて銅や亜鉛を産出し、近代日本の産業を支えた。 明治期には米国に銅を輸出した記録も残る。...

橋元雄二
6月1日読了時間: 2分


『注釈書は読まない』
良寛は論語を愛読していたそうであるある日、論語の中で、意味がはっきりしないものがあり、友人の鈴木文台に質問した。すると文台は、「それならば、注釈書に出ております。良寛様はまだ読んでおられませんか」と言った。それに対して良寛は、「わしは平生から注釈は読まないことにしている。読...

橋元雄二
5月31日読了時間: 1分


『新潟県角田山登山『灯台コース』
角田山で最も眺めがよく最もきついとも言える灯台コース。 海抜0mからスタートすることに加え前半はアップダウンを繰り返すためなかなか高さを稼げない。途中岩場もあるがそれほど難しくはない。慣れた人は60分程度で登ることも可能だが、そうでない人は頂上まで休憩含め90分~120分ほ...

橋元雄二
5月29日読了時間: 3分


『良寛が香典帳に残した一句』
良寛も年を取りだんだん体も弱り杖を突くようになった。ある日良寛は、三島郡竹の森の星彦右衛門の家を訪ねた。夕食の後、彦右衛門は一緒に隣人の家の風呂をもらいに行った。そして風呂から帰ってくると、良寛は上り口に立てかけていた杖を取って、すぐに帰って行こうとした。それを見た彦右衛門...

橋元雄二
4月7日読了時間: 1分


「小倉百人一首に付いてのお話」
鶯(うぐいす)の泣き声は昔からもてはやされてきたのに、有名な小倉百人一首の歌人達は、百人の一人として誰も鶯の素晴らしさを歌にしていないと言う事は不思議なことだ「鶯」で季は春「万葉集」はじめ「古歌集」にはうぐいすがしばし歌われているが、どうした事か藤原定家の編んだ 「小倉百人...

橋元雄二
4月4日読了時間: 1分


『百年生きるとは』
良寛が刈羽郡のある家を訪ねた時、そこの主人が、「私は、地位や財産もこれ以上望みませんし、何一つ心に満たされないものもありません。しかし、唯一、どうしても思いのまま にならないものがあります。」と言った。良寛が「それは何ですか」と尋ねると主人は「百年生きたいと思うのですがこれ...

橋元雄二
4月4日読了時間: 1分


『人の言葉で決心が揺らぐようでは大事な事は成し遂げられない』
他人のアドバイスを参考にするのはいいのです。しかし、人の言葉によって決心が揺らぐようでは、大事な事は成し遂げられません。明治時代から大正時代の作家有島武郎(ありしまたけお)は、「こうと決めたら、どこまでもそれを貫いていけばいい」ということを述べています。「信念の定まらないフ...

橋元雄二
4月4日読了時間: 1分


『お経を止められる』
ある時良寛は、日蓮宗を信仰している家に、一夜の宿を借りた。良寛が一宿の布施に応えるために仏壇の前で経を読んでいると、家の者が、良寛の袖を引いて「止めて下さい」と言ったという。良寛は当時は「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とひたすら題目を唱える日蓮信者には良寛の日蓮宗とである...

橋元雄二
4月2日読了時間: 1分


『良寛の出家の謎』
良寛が出雲崎の名主の橘屋の名主見習いの時に「出家したと言われており」」 その出家の理由には色々な説がある。 ★盂蘭盆の17日に楽しく踊っていたが翌18日に姿を消し出家。 ★新婚生活半年にて出家。 ★盗賊の死刑の現場を見て出家。 ★代官と漁師との間のいざこざを纏められず出家。...

橋元雄二
3月29日読了時間: 1分


『茶会に招かれた良寛』
ある日のこと茶会に招かれた。数名の連客で一椀の茶を飲む濃茶の席であった。良寛は、自分の席に来た茶碗の中身をグツと飲み干してしまった。しかし、隣の席には次の客が控えて いた。困った良寛は、口の中にあった濃茶を茶碗の中に吐き出し、それを次席に渡した。...

橋元雄二
3月26日読了時間: 1分


『無心になる」
良寛は、生涯に多くの和歌や漢詩を残しました。そこで良寛は言ってます。「私は気分が乗ってきた時に和歌や漢詩を書きます。それを世間の人は、いい出来だとほめてくれます。」それは、良寛は「歌人として名を上げたい」とか、「誰かに褒めてもらいたい」、あるいは...

橋元雄二
3月23日読了時間: 1分


『わしが書いたと言うな』
長崎村(現在の南魚沼地方)に長右衛門という者がいた。稲刈り時の夕暮れ托鉢から帰る良寛を呼び止め、団子雑炊を供養し,揮毫を頼んだ。良寛は,雑炊を食べ終わると、「今日は具合が悪いのでまた別の日に来て書こう」と言って帰って行った。ある日、長右衛門の夫人が台所で夕食の仕度をしている...

橋元雄二
3月20日読了時間: 1分


『明日の約束はしない』
良寛は、人のために看病し、食事や生活に心を尽くしておられた。また、按摩やお灸もされた。しかし、人から「和尚さん、明日お灸をしてください」と頼まれても、良寛は「明日は明日のこと」と言って承知されなかった。良寛が明日の約束をされなかったのは、軽々しい承諾は「人の明日の生き死には...

橋元雄二
3月9日読了時間: 1分
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