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「口先だけのお説教より無言で感化を与えた。良寛」
良寛はよく解良家によく貰い風呂をあてにしてふらりと訪れることがあったそうだ。乞食のような格好をした良寛がやってくると家族・使用人総出で迎えたという。昼間でも,着ていた衣類をすべて脱がせて良寛を風呂に入れ、衣類はたちまち洗濯され、まずは、さっぱりと身ごしらえを整えたようだ。良...

橋元雄二
2021年7月24日読了時間: 2分


小さい頃から運動や身体を動かしている子供は『自己実現力が身に付きやすい』
小さい頃からスポーツや身体を動かしている子供は「 自分で思い描いたことを 実現する力 」 自己実現力が身につきや すいそうです 。 「子どもには、やりたがることを、やらせてあげるのがいちばん」だとアドバイスしています。また、そばで見守り、家族で応援してあげることも大切なのだ...

橋元雄二
2021年7月18日読了時間: 1分


「天上大風」
ある日良寛が燕の(現燕市)宿場に托鉢に出かけた時の話である。一枚の紙を持った子供が、良寛の傍に来て、「良寛様お願いだからこれに字を書いておくれ」と頼んだ。そこで子供に尋ねた「何に使うのだ。」すると子供は凧を作って遊ぶんだよ、だからいい風が吹くように書いてほしいと持ってきたの...

橋元雄二
2021年7月17日読了時間: 1分


「現在の学校のいじめ問題にも通じる。会津藩の、什(じゅう)の掟(おきて)」
会津城下の同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひと...

橋元雄二
2021年7月7日読了時間: 3分


「忍耐は功徳の本(もと)である。」
まさにこの新型コロナの拡散の中人々にもっとも必要な言葉ではなかろうかこれは仏法の教えにもあるが、いまは人間への試練であり耐え忍ぶことを説いてるようでならない。苦労し、辛抱する時間も大事なことでありこれを乗り越えた時に光が差し込んでくれる事を願う。

橋元雄二
2021年6月26日読了時間: 1分


「是か非かの判断に自分を基準にする愚かしさ」
そもそも、人びとがこの世にいる様子は、ちょうど、草木の長さが不揃いなのに似ている。それぞれ一方的な見方に執着して、よいとかよくないとか、どこでも議論し合っている。自分の見方に似ていればば、よくなくても正しいとし、自分の見方とちがえば、よくてもちがうとする。ただ自分のよいとす...

橋元雄二
2021年6月22日読了時間: 1分


「6月を綺麗な風の吹くことよ」
これは正岡子規が明治二十八年日清戦争の従軍記者として(この時に森鷗外と出会う)金州城[今の大連)に渡り。日清戦争の従軍記者としてこの地を訪れた子規が、軍の陣屋を訪問し酒を振る舞ってもらった、そのことを詠んだわけですが、軍の陣屋でよんだ句が「...

橋元雄二
2021年5月31日読了時間: 2分


「濃茶の作法」
ある日のこと、良寛は茶会に招かれた。数名の連客で一碗の茶を飲む濃茶の席であった。良寛は、作法を知らないのかわざとなのか定かではないが、自分の席に来た茶碗の中身をグッと飲み干してしまった。しかし隣には次の客が控えていた。そこで困った良寛は、口の中にあった濃茶を茶碗の中へ吐き戻...

橋元雄二
2021年5月8日読了時間: 1分


「団扇とてあまり丸きは」
良寛の親類にいとこ同士の夫婦がいた。親しすぎるために、互いに慎むということがなく、波風が絶えることがなかった。それを聞いた良寛は、ある時、団扇の両側を切り落として扇ノ形に真似て、表に「団扇とて余りに丸いはみよからず、扇の角を少し加えて」という狂歌を書いて与えた。...

橋元雄二
2021年4月30日読了時間: 1分


「良寛の友人の亀田鵬斎との逸話」
亀田鵬斎とは江戸の神田の書家、儒学者、文人であり越後に良寛なる優れた書をかく僧がいると聞いて、わざわざ越後の良寛の五合庵に訪ねて来たことがある良寛は喜び迎えて自ら桶に水を汲み、鵬斎の足を洗わせ、互いに対座した。良寛はあまり語らず鵬斎が何か問えば、ただそれに答えるのみであった...

橋元雄二
2021年4月21日読了時間: 1分


「平和を育てる」
いつの時代にも争いがつきない中国の人権侵害南シナ海の領有権問題やミャンマーの軍の政治への介入などの弾圧など世界の各地で紛争が起こっているだから防衛力を強大にして紛争が戦争化していくそうなればもう戦争するしかない。その時戦争することを、いつのまにかみんなで認めようとする。危な...

橋元雄二
2021年4月19日読了時間: 1分


「いかなるが 苦しきものと問うならば 人をへだつる心と答えよ」
良寛さんは「僧に非ず 俗に非ず」と言い切り、自由気ままに生きていました。 酒や煙草をたしなみ、晩年70歳の時には貞心尼という30歳の40歳も年の離れた弟子である恋人もいました。後に良寛が床に伏せ、息を引き取るまで看取った尼である。...

橋元雄二
2021年4月10日読了時間: 2分


「椿の花の話」
椿の花が散る時は首の部分からボトっと落ちます。なので私は父からちいさい頃に縁起の悪い花なんだと聞いた事があった聞いた話では、武士の時代には「首が落ちる」という意味で庭に植えられなかったとされています。そういう意味から今でも「椿の花は縁起が悪い花」というイメージを持っている方...

橋元雄二
2021年4月6日読了時間: 1分


「故郷やどちらを見ても山笑う」
正岡子規の俳句である.梅も桜も終わって、松山の周りの山は緑にうめつくされる季節になったなと言った俳句である山が気持ちよく笑っているいい春がきたな、故郷はいいな」と正岡子規がつくづく想う。早く病気がよくなって山野をあるきたいね!と。、私がまだ元気に地元の新潟の山を登山をしてい...

橋元雄二
2021年4月2日読了時間: 1分


「散る桜残る桜も散る桜」
いつも衣の懐に手毬やおはじきを入れて、子どもらと無邪気に遊んでいたという良寛。「散る桜 残る桜も 散る桜」という禅語は、そんな良寛の辞世の句とも言われている。 今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはないと言い切る良寛...

橋元雄二
2021年3月31日読了時間: 1分


「お金の受け取り証文」
良寛は托鉢などでお金がたまると遠縁に当たる中村家に預け、必要な時にもらって繰ることにしていた。ある年の3月3日節句の翌日、お金が必要になったので中村家に行くと、あいにく主人の権右衛門は留守で、妻のむろが店先に針仕事をしていた。「四百文出してくれ」と良寛が頼むとむろは、「四百...

橋元雄二
2021年3月27日読了時間: 1分


「我が懐は武蔵野の原」
よく晴れた暖い日には良寛は日当たりのよい場所に出て、よく虱(しらみ)を取っていた。虱にも日向ぼっこさせておられたのか、その数十匹の虱を紙の上に這わせ、夕暮れになると、また懐の中に入れておられた。「蚤(のみ)虱(しらみ〉音(ね)になく秋の虫ならば我が懐は武蔵野の原」と言う和歌...

橋元雄二
2021年3月23日読了時間: 1分


「夫婦喧嘩に一聯」
ある日、良寛は寺泊にある家に招かれ、日暮れ時に訪ねた。すると、夫婦喧嘩の真っ最中で、尋常な騒ぎではなかった。そこで良寛は何も言わず、こそこそと一人で勝手に部屋で寝てしまった。しかし、翌朝になると、夫婦は何事もなかったように機嫌も直り、夫婦二人顔を見合わせながら、笑顔で良寛を...

橋元雄二
2021年3月22日読了時間: 1分


「新潟市にまつわる義経伝説」
新潟市北区にある太夫浜諏訪神社は、地元では1189(文治5)年に建立されたと伝えられています。この神社には、源義経にまつわる伝説があります。源義経が兄の頼朝に命を狙われ、平泉へ落ち延びる途中に現新潟市の太夫浜で1泊しました。翌朝神社に参拝していると、義経主従を捕らえようと追...

橋元雄二
2021年3月17日読了時間: 2分


「争わずに克つ」
争いのもとは慢心と自他の比較から起こる.晴れがましい名誉と勝利に輝いたり、巨大な利益を得たとしても、そこから新しい苦しみがはじまると知ったほうがいい。勝負の極意は、闘わなくてはいけない状況をいかに避けるかにかかつているという。名誉や利益を追いかける前に、自分の足許で無自覚に...

橋元雄二
2021年3月14日読了時間: 1分
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