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「団扇とてあまり丸きは」
良寛の親類にいとこ同士の夫婦がいた。親しすぎるために、互いに慎むということがなく、波風が絶えることがなかった。それを聞いた良寛は、ある時、団扇の両側を切り落として扇ノ形に真似て、表に「団扇とて余りに丸いはみよからず、扇の角を少し加えて」という狂歌を書いて与えた。...

橋元雄二
2021年4月30日読了時間: 1分
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「良寛の友人の亀田鵬斎との逸話」
亀田鵬斎とは江戸の神田の書家、儒学者、文人であり越後に良寛なる優れた書をかく僧がいると聞いて、わざわざ越後の良寛の五合庵に訪ねて来たことがある良寛は喜び迎えて自ら桶に水を汲み、鵬斎の足を洗わせ、互いに対座した。良寛はあまり語らず鵬斎が何か問えば、ただそれに答えるのみであった...

橋元雄二
2021年4月21日読了時間: 1分
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「平和を育てる」
いつの時代にも争いがつきない中国の人権侵害南シナ海の領有権問題やミャンマーの軍の政治への介入などの弾圧など世界の各地で紛争が起こっているだから防衛力を強大にして紛争が戦争化していくそうなればもう戦争するしかない。その時戦争することを、いつのまにかみんなで認めようとする。危な...

橋元雄二
2021年4月19日読了時間: 1分
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「いかなるが 苦しきものと問うならば 人をへだつる心と答えよ」
良寛さんは「僧に非ず 俗に非ず」と言い切り、自由気ままに生きていました。 酒や煙草をたしなみ、晩年70歳の時には貞心尼という30歳の40歳も年の離れた弟子である恋人もいました。後に良寛が床に伏せ、息を引き取るまで看取った尼である。...

橋元雄二
2021年4月10日読了時間: 2分
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「椿の花の話」
椿の花が散る時は首の部分からボトっと落ちます。なので私は父からちいさい頃に縁起の悪い花なんだと聞いた事があった聞いた話では、武士の時代には「首が落ちる」という意味で庭に植えられなかったとされています。そういう意味から今でも「椿の花は縁起が悪い花」というイメージを持っている方...

橋元雄二
2021年4月6日読了時間: 1分
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「故郷やどちらを見ても山笑う」
正岡子規の俳句である.梅も桜も終わって、松山の周りの山は緑にうめつくされる季節になったなと言った俳句である山が気持ちよく笑っているいい春がきたな、故郷はいいな」と正岡子規がつくづく想う。早く病気がよくなって山野をあるきたいね!と。、私がまだ元気に地元の新潟の山を登山をしてい...

橋元雄二
2021年4月2日読了時間: 1分
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「散る桜残る桜も散る桜」
いつも衣の懐に手毬やおはじきを入れて、子どもらと無邪気に遊んでいたという良寛。「散る桜 残る桜も 散る桜」という禅語は、そんな良寛の辞世の句とも言われている。 今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはないと言い切る良寛...

橋元雄二
2021年3月31日読了時間: 1分
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「お金の受け取り証文」
良寛は托鉢などでお金がたまると遠縁に当たる中村家に預け、必要な時にもらって繰ることにしていた。ある年の3月3日節句の翌日、お金が必要になったので中村家に行くと、あいにく主人の権右衛門は留守で、妻のむろが店先に針仕事をしていた。「四百文出してくれ」と良寛が頼むとむろは、「四百...

橋元雄二
2021年3月27日読了時間: 1分
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「我が懐は武蔵野の原」
よく晴れた暖い日には良寛は日当たりのよい場所に出て、よく虱(しらみ)を取っていた。虱にも日向ぼっこさせておられたのか、その数十匹の虱を紙の上に這わせ、夕暮れになると、また懐の中に入れておられた。「蚤(のみ)虱(しらみ〉音(ね)になく秋の虫ならば我が懐は武蔵野の原」と言う和歌...

橋元雄二
2021年3月23日読了時間: 1分
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「夫婦喧嘩に一聯」
ある日、良寛は寺泊にある家に招かれ、日暮れ時に訪ねた。すると、夫婦喧嘩の真っ最中で、尋常な騒ぎではなかった。そこで良寛は何も言わず、こそこそと一人で勝手に部屋で寝てしまった。しかし、翌朝になると、夫婦は何事もなかったように機嫌も直り、夫婦二人顔を見合わせながら、笑顔で良寛を...

橋元雄二
2021年3月22日読了時間: 1分
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「新潟市にまつわる義経伝説」
新潟市北区にある太夫浜諏訪神社は、地元では1189(文治5)年に建立されたと伝えられています。この神社には、源義経にまつわる伝説があります。源義経が兄の頼朝に命を狙われ、平泉へ落ち延びる途中に現新潟市の太夫浜で1泊しました。翌朝神社に参拝していると、義経主従を捕らえようと追...

橋元雄二
2021年3月17日読了時間: 2分
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「争わずに克つ」
争いのもとは慢心と自他の比較から起こる.晴れがましい名誉と勝利に輝いたり、巨大な利益を得たとしても、そこから新しい苦しみがはじまると知ったほうがいい。勝負の極意は、闘わなくてはいけない状況をいかに避けるかにかかつているという。名誉や利益を追いかける前に、自分の足許で無自覚に...

橋元雄二
2021年3月14日読了時間: 1分
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「古代日本史・渟足柵(ぬたりのき)のお話し」
渟足柵(にたりのき)7世紀ごろまで、大和朝廷の支配が及ばない日本の北方に暮らす人々を 蝦夷(えみし)と呼んでいました。渟足柵(ぬたりのき)はこうした蝦夷に備えた大和朝廷の防衛施設(城のようなもの)であるとともに、都から遠く離れた地方を治める行政施設であったと考えられていま...

橋元雄二
2021年3月10日読了時間: 2分
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「良寛の嫌いなもの」
良寛が嫌いなものだったのは ①書家の書いた墨跡。 ②うたよみの詠んだ句 ③歌よみが題をきめて歌をよむこと ④料理人の料理(何事にも作為的なもの) この四つを良寛は嫌ったそうである。確かに逸話を読む限り良寛の書は 型にはまったものではない無法放...

橋元雄二
2021年3月8日読了時間: 1分
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良寛の揮毫
良寛はめったに揮毫する事はなかったと前にも書いたと思う。それでも良寛がお布施等で寄ると、家に上げられ監禁状態で無理やり書かされることもあったという。それだけ良寛の書は貴重品であったのです三条の成田屋は日頃から良寛と親しかった。そこの主人から「一生の宝とするものを書いてもらい...

橋元雄二
2021年3月3日読了時間: 1分
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「良寛の遺墨」
この歌は良寛が死期を悟った頃の歌だと思う。秋の夜長のこの頃は、夜中に目が覚めて、耳に聞こえてくるのは、山の頂にまで響き渡る,雌鹿をよびたてる雄鹿の声であるよ.向かい側の岡の上に、雄鹿が身動きもしないまま立っている。冬のはじめの十一月、時雨の冷たい雨に濡れながら、立ちつくして...

橋元雄二
2021年2月28日読了時間: 1分
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「美あればすなわち醜あり 是あれば また非あり」
訳すると「子供には、美しいところもあれば、醜いところもある。いいところもあれば、また悪いところもある。その両方を認めて、おおらかに育てることが、肝心だ」と良寛は言う。「いい子」に、こだわり過ぎては、かえって子供を、たたきのめすことになる。現代の社会に通じる言葉である。よく最...

橋元雄二
2021年2月1日読了時間: 1分
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「自分の幸せは自分で決める」
境野勝呉悟著:「良寛軽やかな生き方」より一部引用 「今の自分がイヤだ」という人たちへ「今の自分がイヤだ」「私は駄目人間です」いい有名大学を出て、いい会社にお勤めになっている人が、そういうのだ。別に名高い大学を出てない、あるいは、専門学校を卒業して、何とか就職にありついた人の...

橋元雄二
2021年1月18日読了時間: 2分
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「人間の是非 看破に飽いたり」
訳すると「大人の世の中には、あれがいい!これがいい!ああしなさい!こうしなさい!あれはダメだ!これもダメだ!と決めつけてお互い他人の欠点を見つけようと、あくせくしている。そんな姿は見飽きてしまった」子供のの世界はすばらしい。けっして決め付けないから、本音でぶつけても平和だ。...

橋元雄二
2021年1月17日読了時間: 1分
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「絶対に正しい」なんてありえない
恋愛の話で例えて話してみよう。「ああ、この人すてき。ああこの人が好き。そう思ったとたんその人しか見えなくなる。実はその人より、もっとすばらしい人がいても目の中に入ってこない。そう恋は盲目と言われる状況になると人はもっとすばらしい人がいても、まったく関心がなくなってしまう。そ...

橋元雄二
2021年1月10日読了時間: 2分
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