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橋元雄二
2023年12月5日読了時間: 4分
「大谷翔平選手の活躍」
今、MLBでは大谷翔平が野球で大活躍で連日スポーツ番組で彼を見ない日がないほどの活躍ぶりである。1979 年頃だつたと思う。私が学生の頃バイトで貯めたお金で(当時の円相場が 240円位 と現在では考えられない程高かった)(1973年前は1ドル=360円という固定相場制でした...
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橋元雄二
2023年12月5日読了時間: 1分
『気にかけることは声をかけること』
現代にも、世のため人のために一生懸命努力している人がいます。もしそのような人が身近ににいた時には、行いを素直にほめ、温かい励ましの言葉をかけるかけるのが、人としての やさしさではないでしょうか。 良寛の言葉より
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橋元雄二
2023年12月5日読了時間: 1分
『人の受け売りはやめる』
良寛は当時の修行僧のありさまを嘆いています。「自分の頭で考え、自分の体験から導き出した意見がありません。師匠から教わったことを、さも自分の意見のように言ってるだけです。これでは何のために修行しているか、わかりません。情けないない事です」と言うのです。当時の修行僧のようなタイ...
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橋元雄二
2023年12月4日読了時間: 1分
『良寛の薪担ぎ』
寒い冬に入る前に国上山の中腹にあつた五合庵でもお湯を沸かしたり調理をしたり、部屋を暖かくする為の囲炉裏に薪が必要になるので良寛も薪を割ってそれを担いで運ばなければなりませんでした。日頃はそんな事をあまりしたことの無かった良寛は、ある時、薪を担ごうとして、その縄を自分の股間に...
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橋元雄二
2023年12月4日読了時間: 2分
『良寛、円山応挙の絵に書き逃げ事件』
越後の与板宿の三輪氏は、大阪屋という富豪で主人は権平といい、その弟左一は良寛の禅の弟子で二十年間参禅したといわれている。その三輪権平氏が、円山応挙から五匹の子犬の絵を描いてもらい、綺麗に表装し、悦に入っていた。ちょうどその折、左一を訪ねて来た良寛も人々に交じて隅の方でその絵...
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橋元雄二
2023年12月4日読了時間: 1分
『自己実現力』
小さい頃から野球・サッカー・水泳などんなスポーツでも身体を動かしている 子供は「自分で思い描いたことを実現する力」自己実現力が身につきやすいそ うである。教育評論家の親野智可等(ちから)氏は『子どもには、やりたがる ことを、やらせてあげるのがいちばん』だとアドバイスしていま...
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橋元雄二
2023年12月4日読了時間: 1分
『良寛の無心状』
良寛は五合庵に食べ物がある時はなにも欲しいとは思わなかった。その食べ物も最低の生活に慣れていたので至極安く上がった.ただ、いかに寡欲であるからといって、何かついでがあればときどき無心したそうである。子供達が庵に遊びにきた時などは無心する絶好の機会であった。ある朝、雑炊を作ろ...
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橋元雄二
2023年12月4日読了時間: 1分
『良寛の清国に渡る志』
良寛が長崎を行脚されている時仏法を求め清国に渡るつもりでいたのだが良寛の風采を見て乞食坊主に間違われ船頭から乗船を断られ、そのため清国へ渡る志は叶わなかったそうである。
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橋元雄二
2023年12月3日読了時間: 1分
『雁鴨は我を見捨てて去りにけり豆腐に羽根のなきぞうれしき』
この狂歌は良寛が出雲崎の万因寺浄土真宗仏光派から(「あびだつまくしゃろん(阿毘達磨倶舎論)」の略) 説一切有部の思想を標準としながら、仏教の存在論、実践論を体系的にまとめて述べたものの教書の本を借りて読んだ。そして、それを返却する時に、謝礼として豆腐を送った時に上記の狂歌一...
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橋元雄二
2023年12月3日読了時間: 1分
『赤南蛮』
前にも書いたことがあるのだが、良寛の書を欲しがる人が多くて良寛は頼まれても余程の事がないと書いてくれないので良寛の書が欲しい人は手を変え品を変えなんとかして書を手に入れようとした。そこである人が「良寛様なんでもいいのでお好きなもの書いてください」と頼んだところ、数十枚の紙に...
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橋元雄二
2023年12月2日読了時間: 1分
『良寛の親友の解良叔問(しゅくもん)に宛てた依頼状
依頼状の内容はこうである、ハイコンニチワ、『(貝の絵が描かれているもの)を御恵投くだされたく候』ハイサヨウナラ 良寛 とだけ書かれていたそうである、叔問はこの依頼状で 良寛が何が欲しいのか分かったそうである。昔の塗り薬はニ枚貝にほとんど綺麗な絵を入れていたので良寛の(いんき...
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橋元雄二
2023年12月2日読了時間: 2分
『良寛は若い時は女好き』
良寛は十六歳で元服し、名を文孝と名乗っていた、まだ大森子陽の塾で学んでいたが、一方においては遊郭での遊びを覚えた。出雲崎では知り合いの目を気にして遠慮がちであったが、地蔵堂(三条市分水町にある)遊郭街へよく出入りしていた。良寛の女好きは有名となり、土地の人々は良寛を見かける...
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橋元雄二
2023年12月2日読了時間: 1分
『良寛の穴埋め事件』
良寛は、ボサボサ頭に無精ひげ、破れ着物に裸足という風采で人の家の台所に入って乞食をしておられた。ある家に行った時、ちょうどその家で物がなくなった。家の者は、良寛を盗賊と間違え、あるいは脱獄因と叫び、ほろ貝を吹き、板木を打ち鳴らし、村人を集めて良寛を縄で縛り上げ、土の中へ生き...
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橋元雄二
2023年12月2日読了時間: 1分
『良寛の親友有願の逸話』
良寛は書ばかりでなく絵の心得もあり素人の絵とは思えない。伝わるところでは、燕宿に庵を結んでいた有願という僧に習ったという。有願は、狩野派の絵を学び、相当にいい絵を描いていたという。この有願という僧もなかなか変わった人で有願は燕宿(現、燕市の万能寺に住していた。ある年の春に、...
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橋元雄二
2023年12月1日読了時間: 1分
『径巻に(おれがの)』
五合庵に庵居している時に良寛は国上山にある真言宗の雲上国上寺蔵径を読んでいたが、 一巻を読み終わる毎に、必ず巻尾に『おれがの』と書いたそうである。意味は(わたしのだ)その径巻は、今も現存するという。こんな話も残っている良寛の蔵書印の代わりに『今我が家にあり』という文句が自署...
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橋元雄二
2023年12月1日読了時間: 1分
『盗人に取り残されし窓の月』
ある11月の寒い夜に、泥棒が国上山の五合庵に入った。しかし庵の中には盗むものがなかった。そこで泥棒は良寛が寝ている布団を盗もうとした。良寛は寝たふりをして、自分から寝がえりを打ち、布団を取りやすいようにしてあげ、わざと盗ませたという。翌日の朝鼻水を垂らしながら実家の橘屋に寄...
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橋元雄二
2023年12月1日読了時間: 1分
『良寛の友の死』
良寛が五十一歳の時の五月に禅の弟子であった三輪佐一が病没した。越えて翌年の八月に,良寛に絵を手ほどきした僧の有願(うがん)も病没してしまった。我が五合庵には、彼らが来て泊まった時に託した枕が一つ、余分にあるだけになってしまった。世のなかは広いはずなのに、心おきなく語り合える...
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橋元雄二
2023年12月1日読了時間: 1分
『良寛の書の贋作』
良寛の書の贋作は、良寛の生前より盛んに行われていた。良寛が示寂するまでの六年を過ごしたした島崎の木村家の当主木村元右衛門が『北越雪譜』の著で知られる越後の文人、鈴木 牧之(1770~1842】に宛てた手紙の一部にそのことが書かれている。良寛様の真筆などといつた売り物があって...
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橋元雄二
2023年11月30日読了時間: 1分
『良寛と巻菱湖との一双の屏風』
新潟の書家・巻菱湖(まきりょうこ)が江戸より帰国し,諸処で筆を揮っていた時のことである。ある大金持ちの依頼で、一双の金屏風に揮毫することになつた。そして菱湖は、半双を書き終えて別室で休息した。誰もいなくなった部屋へ、一人の老僧がふらりと上がり込み、筆を執るや、残りの半双へ遠...
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橋元雄二
2023年11月29日読了時間: 3分
『什(じゅう)の掟』
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 一、弱い者をいじめてはなりませぬ 一、戸外で物を食べてはなりませぬ...
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