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賭け囲碁に負けた良寛
秋晴れのある日、出雲崎(良寛の生地)へ托鉢に出た良寛さんは、関川萬助の家にやってきた。 萬助は和歌を好み、良寛さんとは特に親しかったのでよく良寛の得がたい書をほしいと言う人か ら萬助に頼む人が多かった。 良寛さんが立ち寄ったとき、萬助は屋敷の隅にある柿の木に登...

橋元雄二
2023年12月10日読了時間: 3分
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『良寛の座右の銘』
良寛は次の言葉を、座右の銘としました。 『一生成香』 (一生香(こう)を成(な)せ)。「 生涯いい香りを発しながら生きよ」という、ある意味では、自分に対するきびしい戒めの言葉です。 この座右の銘によって、良寛は常に自分の心を奮い立たせていたのでしょう。一生努力して、清く正し...

橋元雄二
2023年12月8日読了時間: 1分
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『あしびきの 山田の案山子 汝さへも 穂拾ふ鳥を守るてふものを』
『あしびきの 山田の案山子 汝さへも 穂拾ふ鳥を守るてふものを』 良寛 意味:狭い山間(やまあい)の田の案山子よ、お前までも穂をついばむ鳥から稲を守るというのに 私は人々の役に立つ事が出来ないで情けないことだなあ。「良寛は農作業で働く人を尊敬していた」...

橋元雄二
2023年12月7日読了時間: 1分
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「大谷翔平選手の活躍」
今、MLBでは大谷翔平が野球で大活躍で連日スポーツ番組で彼を見ない日がないほどの活躍ぶりである。1979 年頃だつたと思う。私が学生の頃バイトで貯めたお金で(当時の円相場が 240円位 と現在では考えられない程高かった)(1973年前は1ドル=360円という固定相場制でした...

橋元雄二
2023年12月5日読了時間: 4分
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『良寛は若い時は女好き』
良寛は十六歳で元服し、名を文孝と名乗っていた、まだ大森子陽の塾で学んでいたが、一方においては遊郭での遊びを覚えた。出雲崎では知り合いの目を気にして遠慮がちであったが、地蔵堂(三条市分水町にある)遊郭街へよく出入りしていた。良寛の女好きは有名となり、土地の人々は良寛を見かける...

橋元雄二
2023年12月2日読了時間: 2分
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『盗人に取り残されし窓の月』
ある11月の寒い夜に、泥棒が国上山の五合庵に入った。しかし庵の中には盗むものがなかった。そこで泥棒は良寛が寝ている布団を盗もうとした。良寛は寝たふりをして、自分から寝がえりを打ち、布団を取りやすいようにしてあげ、わざと盗ませたという。翌日の朝鼻水を垂らしながら実家の橘屋に寄...

橋元雄二
2023年12月1日読了時間: 1分
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『什(じゅう)の掟』
● 什(じゅう)とは、会津藩における藩士の子弟を教育する組織の事。 ● 〇 年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ 〇 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 〇 嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ 〇 卑怯な振舞をしてはなりませぬ 〇...

橋元雄二
2023年11月29日読了時間: 3分
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『良寛の一切径の虫干し』
ある年の暑い盛りの土用の頃、良寛が「今年は五合庵で『一切経(いっさいきょう)』の虫干しをするから、見に来なさい」と村の人々に知らせました。 一切経とはあらゆる経文をまとめたもので、この「一切経」の虫干しの風にあたると、その年の一年間は病気や災難にかからないと信じられていまし...

橋元雄二
2023年11月28日読了時間: 1分
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『私の努力は足りているのか?』
頑張っている人の姿を見て、 「 あんなバカらしいこと、よくできるなあ。私ならできないね。 」 などと他人ごとのように考えてしまってはダメです。そういう人は、永遠に進歩できない人ではないでしょうか。良寛は春の日に鍬を持つて泥にまみれて田植えの準備頑を張っている農民の姿を見て、...

橋元雄二
2023年11月25日読了時間: 1分
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『心を落ち着ける』 三ケ条
● 読み書きは心をこめて、ていねいに ● 掃除はしっかりと ● 年上を敬い、年下を気づかい、生きてるいるものは、鳥獣(とりけだもの)に至るま でかわいがる 冒頭の言葉は、良寛が世話になつていた人に頼まれて書いた「戒語」です。...

橋元雄二
2023年11月24日読了時間: 2分
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『食べ残しのもろみ漬』
良寛が五合庵に住んでいた頃の話である。良寛は、囲炉裏の片隅に、もろみの入った小さな壺を置いておき、食べ残しが出れば、その中に入れ、また取り出しては食べておられた。暑い夏でも同じであった。また、人が来れば、人にも勧められたが、食べられたものではなかった。しかし、良寛は平気なも...

橋元雄二
2023年11月23日読了時間: 1分
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『手毬を贈って書を書かせる』
良寛は、とてもまりつきを好んだ。そのため、良寛の書を欲しいと思えば、まず手毬を贈ってご機嫌をとった。すると良寛は、喜んで筆を執って書いた。しかし、その他の物は、たとえ珠玉のように高価な物であってもご馳走されても顧みることはなかったそうですが、親戚関係や托鉢中に無理やり良寛を...

橋元雄二
2023年11月22日読了時間: 1分
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『大工が好き』
最近はMLBの某通訳者の違法賭博によるお金の横領の事が話題になっているがこのニュースを見て思った事があったので書いてみる。良寛の逸話の中で『世の中で大工の仕事ほど正直なものはない」とよく口にしていたという。何でもない桐の箱に、(南無阿弥陀仏)六字の名号を墨差しで書いたらしい...

橋元雄二
2023年11月21日読了時間: 1分
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『多くの友を持つよりも、自分を向上させてくれる友を一人持ちなさい』
『 自分を悪い道へ誘い込むような友であれば、そのような相手とは交際しないほうがいい 』 「よく、たくさんの友人がいる人=人間関係に恵まれて幸せに生きている人」という図式 を描く人がいますが、必ずしもそうではないと思います。「たくさんの友人はいないが深く心を通わせることができ...

橋元雄二
2023年11月19日読了時間: 1分
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『良寛の心張棒』
ある日のこと、木村家の主人が外から帰って来ると、表の戸がどうしても開かない。仕方なく裏口から入って表戸を見ると、良寛が顔を真っ赤にして戸を押さえ,悪戯をしていた。主人はおかしさに堪えられなくなり、『良寛様ご苦労様です』と、大笑いした。すると良寛は、物も言わず、慌てて外へ飛び...

橋元雄二
2023年11月18日読了時間: 1分
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『旧養護学校(現特別支援学校での障がい児童放課後支援事業の立ち上げ』
新潟市内の 旧養護学校敷地内での障害児童放課後支援事業を全国で初めて立ち上げました。 小学校での放課後支援事業は当時は全国にはたくさんありましたが特別支援学校の障がい児童の放課後支援事業は一つもない現状でした。そこで考えたのが障がい児童にさまざまの特性を持つ障害児童にストレ...

橋元雄二
2023年11月12日読了時間: 2分
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『若い頃の反省の上に成長がある』
「若い頃を思い出すと、思いに任せて好き放題をしていました。一生は嘆き多いものだと考えもしませんでした。良寛の実家は新潟の大きな名主の家に生まれましたから、家を出る前までは何不自由ない生活だったようです。「贅沢な服を着て、歓楽街を遊び回ることもよくあったのです。若さに任せて、...

橋元雄二
2023年11月8日読了時間: 1分
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『亀田鵬斎と良寛』
亀田鵬斎は江戸の儒学者で、有名な書家でもあり文人で江戸ではかなり有名な人でもあり、亀田鵬斎 は江戸幕府の「寛政異学の禁」に猛烈に反発し江戸幕府より江戸所払いとなつたのでその際信濃経由で越後と佐渡に遊学に来ていた。良寛の住んでいた五合庵の近くの出雲崎に来た時、亀田...

橋元雄二
2023年11月8日読了時間: 3分
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『散る桜残る桜も散る桜」
「散る桜 残る桜も 散る桜」は良寛和尚の有名な句ですね。 今散っている桜の横で、美しく咲いている桜も、やがては散ってしまう、という意味でしょうか。 良寛和尚は桜の花も人生も同じで必ず最後があることを諭しています。ただ良寛禅師の弟子である貞心尼と死の間際に残した記録にもこの辞...

橋元雄二
2023年11月8日読了時間: 1分
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『私が何故オリーブ園を作る事になったのか』
私がオリーブ園を作ろうと思ったのは地元の農業大学校に通って付加価値の高いもので,病気に強く,鳥害のなく、障がい者の子供たちでも育てやすい果樹で何が良いのか試案していた時に思い立ったのがオリーブ栽培でした,たまたまイタリアにあるオリーブ園を紹介してもらい、そこからオリーブの苗...

橋元雄二
2023年11月8日読了時間: 6分
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