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「今を大切に生きる」
人生には、いい時も悪い時もあります。何をやってもうまくいく時もあれば、何をやっても うまくいかないという時もあるものです。しかし良寛は、「今はうまくいってるとか、うまくいっていないなどと考えない方がいい」と述べています。「まくいってる」と思うと、つい調子にのった考え方をして...

橋元雄二
2021年11月16日読了時間: 1分


「言葉を探すな、心を探せ」
経文はブッダが悟りを得るヒントを語ったものです。真の悟りは経文の中にはありません。悟りとは、その人の心の中にあるのです。 冒頭の言葉に関連して、良寛は面白い例え話しをしています。渡し船に乗っている時のことです。ある侍が誤って刀を川に落としてしまいました。侍は咄嗟に舟のへりに...

橋元雄二
2021年11月13日読了時間: 2分


「当たり前」こそ疑う
冒頭の言葉で良寛が言ってるいるのは、普通の人が「当たり前」だと思い込み、真剣に考えようとしないことを、改めて「何故か?」と問うことの大切さ」についてだと思います。そうすることで「なるほどそうか!」という新たな発見が得られと良寛は言っています。当たり前、常識,習慣、ならわしな...

橋元雄二
2021年10月29日読了時間: 1分


「僧たる者は」
これは良寛の墓碑面に陰刻されている、「僧たる者は」この五十二句長詩が仏教者として、生きてきた、良寛の所信を示すものであった。考えてみれば面白い、曹洞宗の倉敷の円通寺で修行し、十一年後には師である国仙から(修了証紙書)をもらった良寛が、本山の永平寺あるいは宗門のいずれかの寺に...

橋元雄二
2021年10月5日読了時間: 2分
「義を目にしながら見ないふりをしていないか」
何と世間の人の利己的で薄情な事よ。これを思えば嘆げわしくなる。正しく義にかなった道を踏み行なわなければならない時に、かえって身を避けてかくれ、利益になると見ると先を争って走り回る。世の中はすべてが険しくとげとげしくなり、誰も親孝行したり、清貧に生きようと思う人はいなくなった...

橋元雄二
2021年9月19日読了時間: 1分


「饒舌で多弁な人が、人格者であることはほとんどない。」
饒舌で多弁な人が、立派な道理で説けば説くほど、それは空疎に聞こえるものだ。良寛は、そのあたりの事情をイヤというほどわきまえていた。良寛ほど「言行一致」ということを考え抜いた人はいない。考えだけでなく、まず、自らが実践していたのである。...

橋元雄二
2021年9月12日読了時間: 1分


「おのが意地を通す」
この言葉は,良寛が、自分で、自分を戒める自戒として残している。自分の意見を、人をつぶしてまで押し通すことを絶対にしない、と常に心にいいきかせていた。良寛は自分の意見を一言いう前に、まず相手の意見をシッカリ受け入れた。相手の話をよく聞いて差しあげると言うのは、相手を大切に思わ...

橋元雄二
2021年8月8日読了時間: 1分


正岡子規の親の子供に対する教育(徳育)について
子規は子供が悪いことをしたら、しっかり叱らなければならないが子供を親が叩いたり、必要以上に叱ることは、子供の性格を歪めかねないと言うのである.「教へ諭して、以後を注意すれば、それだけで足りる」と述べている。ただ感情に任せて力づくで叱って押入れに押し込んだりするような躾は誤っ...

橋元雄二
2021年8月1日読了時間: 1分


「口先だけのお説教より無言で感化を与えた。良寛」
良寛はよく解良家によく貰い風呂をあてにしてふらりと訪れることがあったそうだ。乞食のような格好をした良寛がやってくると家族・使用人総出で迎えたという。昼間でも,着ていた衣類をすべて脱がせて良寛を風呂に入れ、衣類はたちまち洗濯され、まずは、さっぱりと身ごしらえを整えたようだ。良...

橋元雄二
2021年7月24日読了時間: 2分


小さい頃から運動や身体を動かしている子供は『自己実現力が身に付きやすい』
小さい頃からスポーツや身体を動かしている子供は「 自分で思い描いたことを 実現する力 」 自己実現力が身につきや すいそうです 。 「子どもには、やりたがることを、やらせてあげるのがいちばん」だとアドバイスしています。また、そばで見守り、家族で応援してあげることも大切なのだ...

橋元雄二
2021年7月18日読了時間: 1分


「天上大風」
ある日良寛が燕の(現燕市)宿場に托鉢に出かけた時の話である。一枚の紙を持った子供が、良寛の傍に来て、「良寛様お願いだからこれに字を書いておくれ」と頼んだ。そこで子供に尋ねた「何に使うのだ。」すると子供は凧を作って遊ぶんだよ、だからいい風が吹くように書いてほしいと持ってきたの...

橋元雄二
2021年7月17日読了時間: 1分


「現在の学校のいじめ問題にも通じる。会津藩の、什(じゅう)の掟(おきて)」
会津城下の同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひと...

橋元雄二
2021年7月7日読了時間: 3分


「忍耐は功徳の本(もと)である。」
まさにこの新型コロナの拡散の中人々にもっとも必要な言葉ではなかろうかこれは仏法の教えにもあるが、いまは人間への試練であり耐え忍ぶことを説いてるようでならない。苦労し、辛抱する時間も大事なことでありこれを乗り越えた時に光が差し込んでくれる事を願う。

橋元雄二
2021年6月26日読了時間: 1分


「是か非かの判断に自分を基準にする愚かしさ」
そもそも、人びとがこの世にいる様子は、ちょうど、草木の長さが不揃いなのに似ている。それぞれ一方的な見方に執着して、よいとかよくないとか、どこでも議論し合っている。自分の見方に似ていればば、よくなくても正しいとし、自分の見方とちがえば、よくてもちがうとする。ただ自分のよいとす...

橋元雄二
2021年6月22日読了時間: 1分


「6月を綺麗な風の吹くことよ」
これは正岡子規が明治二十八年日清戦争の従軍記者として(この時に森鷗外と出会う)金州城[今の大連)に渡り。日清戦争の従軍記者としてこの地を訪れた子規が、軍の陣屋を訪問し酒を振る舞ってもらった、そのことを詠んだわけですが、軍の陣屋でよんだ句が「...

橋元雄二
2021年5月31日読了時間: 2分


「濃茶の作法」
ある日のこと、良寛は茶会に招かれた。数名の連客で一碗の茶を飲む濃茶の席であった。良寛は、作法を知らないのかわざとなのか定かではないが、自分の席に来た茶碗の中身をグッと飲み干してしまった。しかし隣には次の客が控えていた。そこで困った良寛は、口の中にあった濃茶を茶碗の中へ吐き戻...

橋元雄二
2021年5月8日読了時間: 1分


「団扇とてあまり丸きは」
良寛の親類にいとこ同士の夫婦がいた。親しすぎるために、互いに慎むということがなく、波風が絶えることがなかった。それを聞いた良寛は、ある時、団扇の両側を切り落として扇ノ形に真似て、表に「団扇とて余りに丸いはみよからず、扇の角を少し加えて」という狂歌を書いて与えた。...

橋元雄二
2021年4月30日読了時間: 1分


「良寛の友人の亀田鵬斎との逸話」
亀田鵬斎とは江戸の神田の書家、儒学者、文人であり越後に良寛なる優れた書をかく僧がいると聞いて、わざわざ越後の良寛の五合庵に訪ねて来たことがある良寛は喜び迎えて自ら桶に水を汲み、鵬斎の足を洗わせ、互いに対座した。良寛はあまり語らず鵬斎が何か問えば、ただそれに答えるのみであった...

橋元雄二
2021年4月21日読了時間: 1分


「平和を育てる」
いつの時代にも争いがつきない中国の人権侵害南シナ海の領有権問題やミャンマーの軍の政治への介入などの弾圧など世界の各地で紛争が起こっているだから防衛力を強大にして紛争が戦争化していくそうなればもう戦争するしかない。その時戦争することを、いつのまにかみんなで認めようとする。危な...

橋元雄二
2021年4月19日読了時間: 1分


「いかなるが 苦しきものと問うならば 人をへだつる心と答えよ」
良寛さんは「僧に非ず 俗に非ず」と言い切り、自由気ままに生きていました。 酒や煙草をたしなみ、晩年70歳の時には貞心尼という30歳の40歳も年の離れた弟子である恋人もいました。後に良寛が床に伏せ、息を引き取るまで看取った尼である。...

橋元雄二
2021年4月10日読了時間: 2分
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